鹿は神様の使いで、あの大きな角で神様と交信するようです。
鹿の動き方、跳ね方の軽やかさは少々重力に反しているようにも見えますので…
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【鹿は神の使い】雪の上を神秘的に跳ねていきました|言葉の小槌123
【鹿は神の使い】
鹿は神様の使いで、あの大きな角で神様と交信するようです。
奈良の奈良公園には鹿がたくさんいますが、インドではそこら中に牛がいたことを思い出します。
インドでは牛は神様の乗り物として大切にされている動物です。
とは言っても色んな問題もあるでしょうが、牛でも鹿でも人と共存できるような状況があるということは、素晴らしいことのように思います。
鹿のみならず、どのような動物も人間にとっては神の使いなのでしょう。
動物の言葉が分かる人は会話もできるでしょうが、動物の言葉が分からなくても分かりやすいメッセージがあります。
動物は物言わず絶滅することで、何かを伝えてくれているのかもしれません。
特定の動物だけを神の使いだと言って、特別扱いするのはあまり好きではありません。
一見すると奈良公園の鹿は特別なように見えますが、実は仕事もしているようなので大目に見ようと思います。
草が生える場所は放置すると、伸び放題の草に覆われてみっともない景観になりますが、鹿が草をはむことで、草は常に短く維持されていることもあるでしょう。
云わば、天然の芝刈り機のようなものです。
草刈り作業は結構な重労働ですので、自動的に草刈りをしてくれるのは助かるはずです。
田舎に暮らしていた時に、刈っても刈ってもすぐに伸びてくる草に驚嘆したことがありましたが、それなのにあまり人も車も通らない山間の道沿いの草地が、草ぼうぼうになっていないのを見たことがあります。
綺麗に芝刈りされたように短く揃っていて、五分刈りになっていました。
村の人が言うには鹿が食べるので、勝手に草刈りになるとのことでした。
草だけをはんでくれればいいのですが、農作物もご要望のようで結構苦しめられましたので、「それは神様からの伝言で食べたんですか?」と尋ねてみたくなったものです。
都合が悪いのでしょうか?、なかなか直接御対面することはなかったですが(笑)
しかしながら雪の景色の中に、「鹿」の不思議さを感じたことはありました。
雪が膝より上にまで積もった時がありました。
そんな時に山の方へ行ってみたことがあったのですが、私が山道に入っていこうと登り口に向かって歩いていくと、その山の麓に野生の鹿がいっぱいいたことがありました。
私に気が付くと「変な奴が来たぞ!」と言わんばかりに「ピー、ピー」と甲高い声で合唱を始めました。
そちらに向かって近づいて行ってもすぐには逃げ出さないで、じっとこちらを見ながら「ピー、ピー」鳴いていましたが、距離が近くなると流石に背中を向けて山の中に跳ねて行き、姿は見えなくなりました。
私が鹿たちがいた場所までやってきて不思議に思ったことは、鹿は新雪の上を軽やかに跳ねていったことです。
足跡は残っていますが、どんな仕組みで雪にハマらないで雪の上を跳ねていけるのかが疑問でした。
試しに私が雪の上に足を乗せると、膝までズッポリ簡単に埋まってしまうのに、鹿は雪の上を跳ねていったのです。
四つ足なので、体重が四等分されるのは考えられますが、鹿の足先は雪下駄のような形にはなっていないように思いますし、細いのでどちらかといえば雪に刺さりやすそうに思えて不思議でなりませんでした。
もしかしたら、鹿は神の使いらしく反重力のような仕組みで動いているのかもしれません?
鹿の動き方、跳ね方の軽やかさは少々重力に反しているようにも見えますので…
まさか足先から特殊な磁場を発生させているのでは?
やはり鹿は天然の芝刈り機ではなく、神の使いなのかもしれません。
HanaAkari