ただ楽しいからスキーにのめり込んでいたので、熱が冷めてしまえばそれまでの事となりましたが、後悔の残るような事に対してとか、結果云々ではなく自分自身に納得が出来ていない事柄に対しては、途中で止めてしまうのはもったいないように思います。
それでも嫌でも後には痕跡が残りますので、それが私のシュプールですね。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【シュプール】生きてるだけで軌跡は嫌でも残る|言葉の小槌133
【シュプール】
スキーに夢中になって毎年のように熱中していた頃を思い出しました。
もう、30年くらい前のことです。
ちょうどスノーボードが流行り始めた頃でしたが、私はスキー派からスノーボード派に乗り替えることは無く、スキーで大転倒した際に右手の親指を骨折をした翌年に行ったのが、最後にスキーをした時になります。
骨折の翌年は体に恐怖心があったのでしょう、腰が引けてしまい思い切って滑ることが出来なくなっていました。
そうしたことからスキーへの情熱が一気に冷めてしまったのかもしれませんし、別のことに興味が向いたのかもしれません。
ただ楽しいからスキーにのめり込んでいたので、熱が冷めてしまえばそれまでの事となりましたが、後悔の残るような事に対してとか、結果云々ではなく自分自身に納得が出来ていない事柄に対しては、途中で止めてしまうのはもったいないように思います。
それはスキーを滑るとゲレンデに滑った跡が残ることに似ているようです。
決して綺麗なシュプールではないにしても、滑った分だけ軌跡は残るのですから、納得が行くまで滑り続けていると、生きているいう実感にもなると思いますので、それぞれのシュプールを描きながら時にそれらが交差したりして、時に転倒しながら…滑ればいいのだと思います。
シュプールは勝手に残るので、気負わない方が楽なのかもしれません。
自らリフトに乗って、または手を引かれながらゴンドラに乗せられて、滑り始めの場所までやってきました。
「ようし、細かいターンでなるべく一直線にゴールまで行くぞ!」と意識を持って、飛び出すのは悪いことではありません。
ただそういった目的意識があっても、無くても、滑り出した後には必ずシュプールが残りますので、目的が無かったら滑ることが出来ないということはないのです。
一部の強い目的意識を持った人は、最短距離でエッジの効いたシュプールを残すかもしれませんが、大半の人はそのように綺麗なシュプールが残る方が難しいだろうと思います。
私の場合なんかは、リズムはバラバラ、時に暴走した挙句の果てに転倒してズルズルと引きずったような跡を残し、力量が無いのに凹凸に勇ましく突っ込んで行ったものの、すっ飛んでしまって、その間は跡も残らないといったような具合です。
時には自分は順調でも他のスキーヤーが突然横切ってきたりして、衝突を避ける為に大きくコースが逸れたり、場合によってはクラッシュしたりと…
何もスキーに限ったことでなく、人生自体がそのようなものではないでしょうか?
後に何かを残すなんて言ってられません。
目の前のことに精一杯努力するだけです。
それでも嫌でも後には痕跡が残りますので、それが私のシュプールですね。
空中に投げ飛ばされて、痕跡が所々点々となっているでしょうし、尻もちをついて穴ぼこになっている場所もあっても仕方がありません、そうなのですから。
それもアシンメトリーの美学ということにしておきます。
HanaAkari