未知なることに対して先に行くことには、不安と恐怖がありますし、あって当然なのだと思います。
なんとなく先に逝った時のことを考えてしまいました。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【先に行く】勇気をもって恐怖心と向き合う時かも|言葉の小槌135
【先に行く】
未知なることに対して先に行くことには、不安と恐怖がありますし、あって当然なのだと思います。
私は怖がりなので尚更、人より先行して先に行くことには恐怖が強いですし、人の後を黙ってついて行く方が性分に合っていると思っています。
強いてアレンジするとしたら、黙ってついて行くけれども、ついて行ったもののこれではマズいと感じた時は、すっと離れることでしょうか?
その時は、ついて行く背中が無くなってやっぱり怖いですが、こんな時も必要だと諦めて歩くしかなかったりします。
最近思うことは、生きていたら自然と嫌でも先に行かないといけなくなることがあるということです。
若い命がどんどん生まれ育ってくるのですから当然といえば、当然です。
そして先に逝くのですから。
「先に逝く」それにはお役目があるのかもしれません。
なんとなく先に逝った時のことを考えてしまいました。
私が逝く前には私より人生の先輩の方々が逝っているので、本当は何処まで行っても先輩が先にいるはずです。
先に逝った先輩は、後から来た者を導くお役目があるのかもしれないと想像しました。
死後の世界から奇跡的に生還した人の話で、行った先でご先祖様に会ったというような話をよく聞いたりしますが、それは道案内に来てくれたということではないでしょうか?
あの世での新入りが路頭に迷わないように導くのが、先に逝った人の役目なのかもしれません。
そして次はお迎え役を引き継いだりしてと…
そして先に逝った人を想うと悲しくなるものですが、もしかしたら先に逝った人は、あちらから私を導く為に先に逝ってくれたのかもしれないと思うと、感謝の気持ちに切り替えることが出来ます。
そう考えると先に行くという恐怖が少しは和らぎます。
少しの勇気は必要でしょうけど。
HanaAkari