言葉の小槌32 word is magic 【おじゅっさん】

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良くも知らないのに素直でなかったと思いますが、一度、斜に構えてしまうとそういう風にしか見なくなりますので、その頃は「おじゅっさん」=「葬式坊主、商売坊主、坊主丸儲け」と大変失礼でした

現実49%、理想51%の割合で少しづつでも前進していきたいなぁ

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【おじゅっさん】方言から連想、お坊さんであれこれ|言葉の小槌32

【おじゅっさん】

母はお坊さんのことを「おじゅっさん」と呼んでいました。

幼少期の頃から聞き慣れていましたので、お坊さんのことを「おじゅっさん」というものだと思っていましたが、どうも全国的ではない表現のようです。

お坊さんの呼び名は意外と多様のようで、私が聞いたことがあるだけで、お寺さん、和尚、住職、お上人、坊主、ぼんさん、がありますが他にも地方には色々とありそうです。

父は「坊主」と呼び捨てにしていました(笑)

日本でお坊さんといえば仏教のことを指しますが、子供時代はもちろん興味はなく、どちらかといえば私も毛嫌いしていました。

「悪い事したら地獄に落ちるよ」「もったいないことしたら罰が当たるよ」「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるよ」など、このような仏教に関係するような戒め文句を聞く度に「誰が決めたんですか?」と反発心が起こりました。

良くも知らないのに素直でなかったと思いますが、一度、斜に構えてしまうとそういう風にしか見なくなりますので、その頃は「おじゅっさん」=「葬式坊主、商売坊主、坊主丸儲け」と大変失礼でした。

今では芸術とコラボレーションするなどして間口を広げたりすることで、様々な手段で「仏法」というものを知ってもらおうと努力されているお坊さんもいたり、毎日真摯にお勤めされているお坊さんもいますので、お坊さん全部を一括りにして判断せず、大切な部分であります志や内に秘めた情熱に目を向けるようにしたいと思っています。

お坊さんバンド
ロックでお経

そういったそれぞれの努力が良い縁を結んで、形は変われど継承されていくのだと思います。

私の「おじゅっさん」感が変わった出来事はインドにあるサールナートという場所で知り合ったお坊さんがきっかけです。

インドに行く前にタイを旅行していた時は、態度の悪い坊主をかなり見ましたので、やはり坊主は「生臭坊主」という呼び名がお似合いだという風に、坊さんに対する印象は悪化していましたので、そこから価値観が反転したのですから、人との縁でどうなっていくかは分からないものです。

インドに行くまでは知らなかったのですが、お釈迦様が生まれた地は昔のインド(天竺)で、インドが仏教の発祥の地とのことです。

サールナートという所は仏教の四大聖地の一つで、始めてお釈迦様が説法をした場所だそうです。

ちなみに仏教四大聖地は、お釈迦様が生まれた場所ルンビニ(現在ネパールにある)、悟りを開いた場所ブッダガヤ始めて説法した場所サールナート亡くなった場所クシナガルですが、私がインドに行った時にはクシナガル以外の場所には日本の仏教寺院がありました。

サールナートで御縁のあった日本寺は日蓮宗のお寺でしたので、お坊さんのことを「お上人」と呼んでいました。

そのお上人はかなり高齢のおじいさんでしたが、「坊主だってなあ、霧や霞を食って生きてる訳じゃないんだ、飯食ってかないと生きれないんだよ」と江戸言葉で話し、かしこぶっておらず、魅力的な方でした。

戦争の話をよく繰り返し話してくれましたが、戦争体験者ゆえの重みがあり聞きごたえがありましたが、エンドレスに話がループするのには少々、聞くのに骨が折れたのが率直なところです。

また食べるものに苦労されたからでしょうか?お茶をしながらお菓子を「食べろ、食べろ」と半ば脅迫のように、無限に勧めてくれるのですが、もうこれ以上お腹に入らないよとなってからの続きが苦痛で、どうすればこの「ありがた迷惑」な食べる無限地獄を上手く躱すことができるだろうかと?知恵を絞ったのを思い出します。

本当にすみません。

あの頃は何度も同じ戦争の話を聞く度に、「これ前に聞いたなあ」「別の話してくれないかなあ」などと思っていましたが、私があれほどに何度も言うには「それ程に伝えたい何か?があるのではないか?」と思えていたら、お上人が本当に伝えたかった話の中にある核の部分に気が付けたのかもしれませんが、後の祭りです。

弟子の方が継承されているでしょうから、機会があったら聞いてみようと思います。

日本の仏法をインドに返すという志で頑張っておられたお上人と、そのお上人に感銘を受けてバックパッカーから出弟子入りしてお坊さんになった方との縁が、私の「おじゅっさん」感を完全に変えました。

私はなぜか「お坊さん」とか「聖職者」とか「政治家」とかは清廉潔白であるべきだと決めつけていたところがありましたが、今はお上人の言葉のように「坊主だってなあ、霧や霞を食って生きてる訳じゃないんだ、飯食ってかないと生きれないんだよ」という当たり前の「現実」「理想」との葛藤の中から我慢強く「理想」を追求していくものではないか?と思っています。

現実49%、理想51%の割合で少しづつでも前進していきたいなぁ。

「食べていくために悪いことをしてもいい」と開き直りたくはないですし、言い訳にはしたくないので、できる限りの努力と葛藤の中に光明があって欲しいと思います。

悪いことをしたら地獄に落ちてしまいますから(笑)

HanaAkari

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