なんか「卑弥呼」のようなイメージです。
お灸する「巫女」さんに言われたことは概ねその通りになった事は不思議ですが、花は咲き続けることはないというのが、実感です。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【巫女】思い出のお稲荷様の狐とお灸と苦い占いと|言葉の小槌46
【巫女】
どうも私は幼少の頃より稀な体験をさせてもらっていたのだと、何十年も後になってしみじみと思います。
しかし今にならないとしみじみと感じ取れないところが惜しいわけで、何十年も前に口に入れた飴玉が今頃、ほのかに甘く感じられるようで、当時はその飴玉は「苦い飴玉」だったのです。
淡路島に母方の祖母が住んでいたので、幼少期には毎年遊びに行っていました。
祖母は時々ある方に、お灸を据えてもらっていたので、何度か一緒にその施術場所に連れられて行きました。
一階はお洒落なブティックで、インテリアの一つ一つがこだわりの物でいっぱいの、アンティークな英国風でした。
私が特に憶えているのはレジスターが舶来のアンティークもので、とても格好良かったです。
そのブティックの二階に上がると、全くの異世界がそここにはありました。
まず目に飛び込む色が朱色でした。
朱色の鳥居が三重くらいあって、白い狐が両脇におり、お社があり、「稲荷様」が祀ってあったのです。
部屋の中ですので当然サイズはそれに合わせた大きさでしたが、部屋全体が「稲荷神社」といった風で、御婆さんの「巫女」さんがおりました。
御婆さんの「巫女」とは表現に違和感がありますが、聞いたことはありませんが「巫女」だと思います。
なんか「卑弥呼」のようなイメージです。
その方が「お灸」の先生でもありました。
壁一面に色んな人の名前が書かれたお札が飾られていて、私の名前もありました。
おそらく御祈祷してくれていたのだと思います。
私はなぜかその巫女さんに気に入られていたようで、弟と一緒にいても私の方が贔屓されているのが分かるくらいでした。
もぐさの匂いが染み付いた特殊な空間を懐かしく思います。
私は中学生の時に起こったある出来事からなかなか立ち直れず、中学、高校の時期に青春時代とは真逆の真冬のような時期を送ったのですが、お情けで高校を卒業できた頃に淡路島に行く機会があり、そのブティック兼、「お稲荷様」の所に顔を出したのが、その方とお会いした最後になりました。
完全には精神的な冬から脱出できていない時期でしたので、かなり気遣って頂いたのですが、あのような方は余計なことは言わないようですが、恐らく何か予見されていたのでしょう、お灸を受けながら聞いた言葉は当時の私には「苦い飴玉」でした。
「あなたの人生は三十歳を過ぎた頃から花開いていきますよ」
そう言われました。
陰に傾いている状態の二十歳にもならない時に、十年以上先まで花が開かないなんて言われても納得がいかず、嫌な気持ちになりました。
若い頃は時間の経過を遅く感じていましたので、十年という年月は相当先のようにしか思えなかったのですが、今同じように言われたら嬉しいかもしれません。
「まだ花開くんだ」と思えますし、十年なんて意外とあっという間ですから。
お灸する「巫女」さんに言われたことは概ねその通りになった事は不思議ですが、花は咲き続けることはないというのが、実感です。
咲いては枯れて、また咲いて枯れて、咲いてと繰り返しています。
苦い経験がなくなることもなく、同じように繰り返してくれますので、私の人生は「ゴーヤ」みたいなものです。
ゴーヤはおいしいので、とても好きです。
HanaAkari