チベット人にとって歴史的な苦難であります「中国共産党に対しても慈悲の心を」といった内容の見出しでしたが、それを見た瞬間に背筋が震えました。
第一印象は「大きい」でした。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【ダライラマ14世】チベット亡命でも中国に慈愛を|言葉の小槌62
【ダライ・ラマ14世】
2022年7月28日に「ダライラマ14世」がインドの「ラダック地方のレー」にて法話を行ったというネットニュースで見ました。
チベット人にとって歴史的な苦難であります「中国共産党に対しても慈悲の心を」といった内容の見出しでしたが、それを見た瞬間に背筋が震えました。
と同時に私なりに文章にしてみたいと思ったのですが、思うことが多く二の足を踏んでいましたが、我慢できずにこうしてペンを執りました。
私には中国人の親友もおりますので、中国が起こしている内外での政治問題には複雑な思いがありますが、友人との個人的な交流と国家間の問題は別だと割り切る以外に仕方がないと考えています。
私はインドを旅行中に色々な場所に行きましたが「ラダック」には特別の思い入れがあり、現在はインド領内ですが、「リトルチベット」と呼ばれるチベット文化圏の場所で、インド人とは人種の違う「ラダック人」の地です。
「レー」はその中心地ですが、近隣の「ゴンパ」と呼ばれるチベット仏教寺院と王宮址以外、特に何も無い小さな田舎町でした。
私はなぜか「レー」が気に入り、正直にいうと初めて行った時に「ここ知っている」という感覚が起こった場所で、私にとってなぜだかとても心地の良い場所でした。
旅行で色々な場所に行きましたが、相性の良い場所はあっても、あれくらい強烈な感覚を感じた場所は「レー」以外ではインドネシアの「バリ島」だけです。
思い込みかもしれませんが、そういった経験から「輪廻転生」はあるのではないかと思っていますので、「ダライラマ14世」が「観世音菩薩」の化身とされ転生を繰り返して人々を導いていると言われても、真実は分かりませんが疑う気は全く起こりませんし、とても興味深いです。
ダライ・ラマは制度は「転生」を繰り返し、引き継がれているチベット仏教の神秘
「ダライラマ13世」の死後、様々なお告げを紐解くことによって転生した「ダライ・ラマ14世」探しが行われ、四歳の時に認定されたのが現在の「ダライ・ラマ14世」です。
捜索隊はお告げを元に直感に基づいて転生した「ダライ・ラマ」を発見するのですが、その際に行った試験で「ダライ・ラマ13世」の遺品を見せるのですが、完全に本物と偽物とを見分けたようです。
現在の常識では眉唾もののように思ってしまいがちですが、かつて秘境と呼ばれていたチベットのことですから、多くの現代人の常識を覆すような出来事が普通だったのかもしれません。
現に「ダライ・ラマ」以外でも「輪廻転生」にまつわることでは、前世の記憶を憶えている人が話題に上ったりしますし、一般的にキリスト教では「転生」はないと言われるそうですが、前世の記憶を持つという人物には洋の東西や、信仰している宗教は関係していないところが、面白く思います。
また前世の時の怪我の箇所が、今世では「あざ」になっていたりすることがあるそうで、私は普段は髪の毛で隠れていて見えませんが、右側頭部に「赤いあざ」があり、もしかしたら前世で「自分で銃で撃ったのかな?」と考えたことがあります。
私は精神的に弱かったので「自害」もあったのかもしれないと思う節もありますが、もちろんただの想像ですし、今の私は絶対に「自害」はしないと決めています。
両親から頂いた命ですから、「親孝行」が出来なかった分、どういった形であれ寿命が尽きるまでは、せめて精一杯生きることで「恩返し」をすると決めましたので。
不思議と子供の頃よりも「赤いあざ」はかなり薄くなっているようで、よく「輪廻転生」とセットで考えられます「カルマ」がこの部分においては解消されつつあるのかもしれないと、都合よく思ったりもします。
チベット亡命政府はインドの「ダラムサラ」にあり
「ダライラマ14世」は普段はインド北部ヒマーチャル・プラデーシュ州「ダラムサラ」に住んでいます。
1959年に行われた中国人民解放軍による「チベット」の軍事制圧の際にチベットから脱出した「ダライラマ14世」がインドにて「亡命政府」を樹立した場所です。
そのせいか「ダラムサラ」周辺には多くのチベット人が住んでいました。
「ダライ・ラマ14世」がチベットを脱出する際や、その後を追って多くのチベット人がインド、ネパール、ブータンへと移民した結果です。
私が「レー」に滞在中に知り合った、チベット人の初老の夫婦もその内になりますが、大変お世話になり、素晴らしい時間を共有できたことは私の宝物です。
残念ながら現在の状況では「チベット解放」ということは難しくなってきているように思うのですが、形に囚われることのない、せめて次の未来のために精神的開放に向かって欲しいと願います。
実は私は「ダライ・ラマ14世」と直接会ったことがあります
「インド」滞在中に「サールナート」という場所に「ダライ・ラマ14世」が来るという情報を聞きました。
「サールナート」はお釈迦様が初めて説法をした場所で「仏教四大聖地」の一つです。
私はちょうど「サールナート」から10キロ程離れた「ガンジス河」の沐浴風景で有名な、ヒンドゥー教の聖地「バラナシ」に滞在していました。
「バラナシ」は多くの旅行者が長期滞在する所で、バックパッカーにとっても聖地のような場所でした。
その時に「ダライ・ラマ14世」が「サールナート」に来るという情報を知り、当時はほとんど「ダライ・ラマ14世」のことを知らなかったのですが、ミーハー心で芸能人を見に行くような感覚で会ってみたいと思ったのです。
旅行者に貰ったのか?日本から送って貰ったのか?憶えていないのですが、なぜかその時に「折り紙」をたくさん持っていたので、「ダライ・ラマ14世」に「千羽鶴」をプレゼントしようと思い立ち、「バラナシ」の路地にある、私がいつも利用していた旅行者向けのレストランで日本人の旅行者に声を掛けて、折り鶴作りを手伝ってもらうことで、なんとか「ダライ・ラマ14世」がやって来る日までに「千羽鶴」を完成させました。
当日は一人で行くのは心細かったので、知り合った旅行者の友人と一緒に初めて「サールナート」に向かいました。
「ダライ・ラマ14世」が来てるということでニ、三十人くらいのチベット人が出待ちをしていたので、一緒になって待っていると、行事を終えた「ダライ・ラマ14世」が私たちが待っている道路に向かって歩いて来たのです。
第一印象は「大きい」でした。
実際の背丈が大きくがっちりとした体格だったので、なんとなく想像していた印象と掛け離れていて驚いたのと、初めて「オーラ」のようなものを感じたのですが、それによって一段と大きく見えたのです。
チベット人が「ダライラマ14世」に向かって押し寄せて行きましたが、私は圧倒されて身動きが出来ず硬直していると、友人が背中を押してくれてやっと動くことができ、「千羽鶴」を手渡そうと「ダライラマ14世」の前に出ると、横からボディーガードのチベット人がサッと間に入り「駄目」だと目で静止され、「千羽鶴」は手渡すことが出来ませんでした。
この数人いたボディーガードの体躯は戦士といった感じでがっちりとしていて、顔は厳ついし、かなり怖かったです。
以前に相撲で横綱になったモンゴル出身の「朝青龍」のような感じだといえばイメージできるでしょうか?そんな感じの人が数人で「ダライラマ14世」を取り囲むようにして護衛していました。
「ダライラマ14世」は私が手渡そうとした「千羽鶴」だけでなしに、チベットの方々が用意していたプレゼントも一切受け取りませんでした。
一つ受け取ると全部受け取らないといけなくなるので、当然かもしれません。
「千羽鶴」はその後に「サールナート」を散策していたら「中国寺」があったので、そちらに受け取ってもらいました。
同行していた友人が中国語を話せたので、高齢の中国人のお坊さんとコミニケーションが取れ、そういった経緯になったのでした。
後に「サールナート」の「日本寺」にしばらく宿泊したのですが、「中国寺」に遊びに行くと、「千羽鶴」は仏像の背後に後光のように飾られていたので、嬉しかったです。
「ダライラマ14世」に会ったというよりは「至近距離でお見かけした」という方が適切ですね。
ダライ・ラマ14世 2022年7月28日インド、ラダック、レーでの法話
最後に2022年7月28日にラダックのレーで行われた法話の抜粋を記します。
「優しさと思いやりは幸福への鍵です。私達は生まれた瞬間からお母さんの優しさに包まれて人生を歩き始め、死を迎える時でさえ、心温かい親類や友人に囲まれていれば、より快適で安らかな気持ちで死を迎えることが出来るでしょう。すなわち、人間は社会的な動物であり、他者に対して温かい心で接することができれば、幸せな人生を送ることができるはずです。チベットには『温かい心により幸福と成功に至る』という諺があります」
「また、『いわゆる敵と呼ばれる者は、あなたの最高の教師になることができる』とも言われています。チベット人は中国共産党の手によって、大きな苦難と不幸な状態に直面していますが、私はチベット人に憎しみや復讐心を抱かないようにと助言しています」
「敵に仕返しをするつもりで負の感情を溜め込むと、幸せな人生を送ることはできません。それよりも、悪いことをした人に慈悲心を持つ方がずっといいのです。温かい心、許す心が幸せの根源だということを心に留めて下さい。どんな目的であれ、私は仏教の僧侶として、武力の行使を唱道することは決してしません」
【ダライ・ラマ14世】2022年7月28日/インド、ラダック・レーでの法話から抜粋
HanaAkari