親に対して感謝するのは当然で、もっと自然に当たり前であるのが良いのでしょうが、愛情いっぱいに育ててもらっていながらも、失わなければ気が付かなったことは情けないながら、それに気付かせてもらえたことは私にとって幸いでした
最後の最後まで私を守ってくれようとした母の強さと、その「死に様」を私は生涯忘れることはないでしょう。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【死に様】最後まで母の強い生き様を見ました。|言葉の小槌99
【死に様】
これまでの人生で身近な人の死を、何人も経験してきましたが、私にとって一番大きな衝撃があったのは、母の死です。
母は肺ガンを患い、1年以上闘病生活を送りましたが、他界しました。
もう20年くらい前の事になります。
当時は大変なショックで、親不孝だった自分の不甲斐なさや、「親孝行したい時には親はいない」という言葉をどれだけ痛感したか分かりませんが、それと同時に心の底から感謝の思いが湧いてきました。
親に対して感謝するのは当然で、もっと自然に当たり前であるのが良いのでしょうが、愛情いっぱいに育ててもらっていながらも、失わなければ気が付かなったことは情けないながら、それに気付かせてもらえたことは私にとって幸いでした。
失って気付く事は多いです。

母は闘病生活とはゆえ、大半は自宅で自由に過ごしていましたので、その間に色んなことを経験させてもらえました。
家族間の確執や、価値観の違いによる争い、亀裂、吹き出すものが一気に噴き出して大変な時期でした。
母はそんな負のエネルギーを全て、「死」を通してあちらへ持っていってくれました。
母の死後、家族間の確執、特に私と父との確執は無くなりました。
お互い母の死によって、心に一石を投じられたのだと思います。
そんな母の「死に様」は忘れられない思い出で、時を経た今ではただの一つの良い思い出となりました。
最後の時まで、母は強かったです。
母のガンが発覚した時に医者に言われたのは、「抗癌剤治療をしなければ、余命4カ月です」「ただ、抗癌剤は一時的に効果を発揮しますが、延命になるだけでこの種のガンは絶対に治りません」でした。
私は認めたくない事実でしたので、医者に盾突きましたが、母は「はい、そうですか」といった具合で一切、動揺していないように見えました。
心の奥底は分かりませんが、表面上は一切、取り乱すことなく、医者に毒づく私が逆に諫められるくらいでした。
大変な状況は母なのに、今では申し訳ないことをしたと思いますが、あの頃の私は感情が剥き出しで、すぐに頭に血が上り、自制するのがとても下手だったのです。
その後の闘病生活の中で、西洋医療以外にも様々な事をやってみましたが、私は何とかしたいの一心で必死でしたので、色々探してきては母に押し付けていました。
母が亡くなってから気が付いたことなのですが、母は自分の事というより、私があまりにも躍起になっているので、私の為に色々とやってくれたのだと思います。

そのような母でしたので、最期の時まで恰好良かったです。
病院から最後の時が近いという連絡があり駆け付けましたが、家族の中でその時に間に合ったのは私だけでした。
急いで病院に駆け付けた私は、それまでいた病室から別室に移されて横になっている母と対面しました。
少し苦しそうでした。
肺を患っていますので、呼吸が大変なのです。
看護師に手動の人工呼吸器を託されて、私は必死に人口呼吸器で母に空気を送りました。
気持ちだけが先行しているので、私が空気を送るペースが速すぎて母に「逆に苦しい」と言われ、少し冷静になったのを憶えています。
私は涙が止まりませんでしたが、一つだけ後悔していることがあります。
「ありがとう」と言葉に出して伝えることが出来なかったことです。
悲しみと同時に感謝の思いが込み上げていたのですが、他に人がいたからか?私自身に拘りががあったのか?とにかく「ありがとう」を口に出せなかったことです。
素直でなかった。
今なら人の目を気にしたり、つまらない拘りを捨ててちゃんと「ありがとう」を口に出すでしょうし、そういう人でありたいと思っているのですが、母が死を通して私に教えてくれたのだと思います。

なぜか最後の時が来るのが分かりました。
間もなく母の魂が、労しい体から離れるだろうと感じました。
何かお迎えが来たのも分かりました。
その後、一旦部屋から出るように言われ、死後の整えを看護師の方がして下さったようです。
看護師の方に教えてもらったのですが、母の口の中から多くの血が出たそうです。
私の前では必死に血が口から溢れ出ないように、堪えていたみたいで、最後の最後までそうしたようです。

最後の最後まで私を守ってくれようとした母の強さと、その「死に様」を私は生涯忘れることはないでしょう。
私にとって世界一の母でした。
父もそうです。
HanaAkari