言葉の小槌155 word is magic【KANO 1931海の向こうの甲子園】

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「KANO」=「カノ」=「嘉農」=「嘉義農林学校」

それほど遠くない昔、日本が台湾を50年間統治していた時代があり、そこには「悲しい戦争時代」の一言で片付けてしまうには、あまりに愚かなことだったことがようやく、50年以上生きてきて分かります。

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【KANO】魂の野球。台湾から甲子園への精神|言葉の小槌155

【KANO】

「KANO」=「カノ」=「嘉農」=「嘉義農林学校」

高校野球中継では出場校の名前を短縮して呼ぶことが定番ですが、どうやらそれは最近に限った傾向ではないみたいです。

「KANO 1931海の向こうの甲子園」という素晴らしい映画を見た時に、本筋とは別にそんなことも考えました。

「嘉農」は台湾代表として、甲子園に出場します。

甲子園球場

それほど遠くない昔、日本が台湾を50年間統治していた時代があり、そこには「悲しい戦争時代」だと一言で片付けてしまうのは、あまりに愚かなことだったことがようやく、50年以上生きてきて分かります。

非常に申し訳ないことですが、戦後教育の中で戦争関係のことをほとんど勉強することもなく育った私には、漠然とですが開けてはならない箱のような時代に感じていました。

しかし、YouTubeをはじめ、情報の多角化によってそういったタブーも自然と雪解けしているようです。

ずっと目の前のことを精一杯こなして生きることで誤魔化していましたが、ようやく自ら目をつぶっていた心と向き合うことになってくると、日本人とは?日本人の魂とは?そういったところを無視することも出来なくなってきました。

正直「努力」「根性」「武士道」など日本の精神に関する話は、厳しいイメージだけが先行して毛嫌いする傾向がありました。

ですが、外国人と話したり、接したりすると「自分はこれでも、やっぱり日本人なんだ」と感じ、何かしら心の内にあるモヤモヤを解決する糸口は、昔の日本の精神の中にあるのかもしれないとも思うこともあります。

「KANO 1931海の向こうの甲子園」という映画は、日本が台湾を統治していた時代に実際にあった出来事を、台湾の人々が一つの作品にしてくれているのが、本当に嬉しくてありがたいことです。

また、日本人でありながら、先人たちが残して下さった日本の精神から遠く離れてしまっている自分を恥ずかしくも感じる機会にもなりました。

「KANO 1931海の向こうの甲子園」は、何か忘れかけているものを思い出させてくれるものだと思います。

この映画では、高校野球を通して「日本の精神」を思い出させてくれる場面が多くありました。

台湾という地で、弱小のポンコツ野球部に野球を教えることを決めた近藤監督が、初めに子供たちの前で行った行動には、頭が下がりました。

「これから監督をさせてもらう」「よろしく頼む」と子供たちの前で頭を下げるのです。

礼

昔の日本人ですから態度は厳格なのですが、「お前たちに野球を教えてやる」という一方的な態度ではなく、お互い様の立場なのです。

今だと「パワハラ」騒動が起こりそうな厳しい練習なのに、子供たちは近藤監督を尊敬しているからこそ、成立する繋がりがありました。

日本の「パワハラ」という問題は、もしかしたら指導する立場の者が、自らを成長させる努力を怠り、都合の良い時だけ、日本の精神性を持ち出して利用することで起こってくるものかもしれません。

逆もしかりで、損得勘定が先に出てしまう、自分中心の考え方からすれば「パワハラ」という言葉は、本当に都合の良い道具のようなものにも思います。

西洋のモノサシを使うなら、日本人の考え方も完全にそのモノサシに合わせないと歪になるだけです。

日本では西洋のモノサシを使うと日本人の感性にそぐわず、どこか不快に感じるのなら、日本本来の素晴らしいモノサシを思い出して、活用するのもありかもしれません。

「勝ちたいと思うな。負けられないと思え」

決して完璧でない近藤監督が自身の苦い過去と向き合いながら、日本人、漢人(中国人)、蛮人(台湾の少数民族)のそれぞれの特徴を上手く生かし、育て、切磋琢磨された混成チームは甲子園にまで行くことになります。

日本人の精神をこれから学習し直してみるには、本当に良い時代になったと思います。

堅苦しく感じる精神論も、エンターテイメントを通してみると、意外とあっさりと受け入れられることがあったりします。

スライディング

映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」は、民主化台湾の魂「李登輝」氏も絶賛しました。

「李登輝」氏は2020年に他界しましたが、台湾を代表する人物の一人なのは違いありません。

私が台湾に小旅行に行った時にも、公園で出会った台湾人のおじさんと「李登輝」氏のことを会話する出来事もあったくらい、日本人と繋がりが深い人物なのが窺えます。

非常に親日家でしたが、日本が1895年~1915年の間、台湾を統治していた時代に日本人教育を受けた影響では?と勘ぐってしまいますが、この思い込みこそが何かを見謝っているようで怖いです。

戦争時代の日本のイメージには、「軍国日本」、「欲しがりません勝つまでは」とかネガティブなイメージが先行し目を背けることで、大切なことまで置き去りにしてきたような気がします。

この見向きもしなかった時代のことに、少しずつ興味を持ち始めるきっかけになったには、「李登輝」氏と同じように、あの時代に日本人教育を受けた韓国人の年配者とインド旅行の際に知り合ったことからです。

私はバックパッカー旅でインドを放浪していた時に、韓国人と仲良くなり一緒に行動することが多かったのですが、その繋がりからある韓国人の年配の男性と知り合いました。

高齢な方でしたが、一人旅でインドに来ていました。

当時、仲良くしていた韓国人の友人に連れられてその男性の宿泊していた宿に遊びに行きました。

日本語が達者で、日本人の私よりもまともな日本語を訛りなしで話されたのには非常に驚きました。

あの時代には日本の学校で学んだということで、「李登輝」氏と似たような境遇なのですが、日本人としか思えない日本語の発音もさることながら、日本語の本も普通に読めるようでした。

旅の合間に読んでいるといって、私も読んだことがない日本人の有名な文豪の単行本を見せてくれました。

そして何よりもその人の人柄に驚きました。

落ち着いていて穏やかな空気に包まれているようで、器の大きさが違いました。

朗らか

その方は、平昌(ピョンチャン)に住んでいましたので、インド旅行の後に韓国に行った時に、数人の韓国人の友人と共に、泊りがけで遊びに行きましたので、少々踏み込んだ質問をしてみたこともあります。

太平洋戦争の歴史は、韓国では反日感情の材料ですし、日本がアジアの国々を植民地化した歴史ですから、無知だった私には触れたくない話題だったのですが、何か違和感をそのままにしておくのは気持ちが悪かったのです。

「無理やり日本人教育を受けたことをどのように思っていますか?」

その方は微笑みながら、「私は恨みはありません」と多くは語りませんでしたが、沈黙を持って答えを教えてくれているようでした。

もちろん色々あったでしょうし、全てを美談にしてしまうのは違いますが、どうも私がよく学習もしないで思い込んでいた、日本の植民地統治には違った側面があったようです。

その一面が「KANO 1931海の向こうの甲子園」には感じられました。

HanaAkari

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