旅の玉手箱【ウェリガマ】〈スリランカ編-3〉

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旅の玉手箱 〈スリランカ編〉 旅の玉手箱〈スリランカ編〉
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スリランカ国内での動き
  • トリヴァンドラム
    Torivandrum
    インド南インド〈ケーララ州、トリヴァンドラム〉から飛行機に乗り、〈スリランカ〉に飛びました。〈スリランカ〉で再び新しいインドの観光ビザを取得するのが大きな目的でした。
  • コロンボ
    〈Colombo〉
    当初〈スリランカ〉の玄関口で最大都市。以前は首都でしたが、新首都〈スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ〉に移転されてはいましたが、都市としては〈コロンボ〉が栄えていました。
  • ゴール
    〈Galle〉

    ヨーロッパの支配時代に建設された城塞都市。西洋の面影が強く歴史的背景は別として、お洒落な雰囲気がありました。旧市街と要塞は世界遺産です。

  • ウェリガマ
    〈Weligam

    砂浜が広がる海沿いの静かな町でした。〈リティパンナ(竹馬漁)〉と呼ばれる変わった伝統漁法が見たくて行きました。

  • ハンバントタ
    〈Hambantota〉
    ここでは出会いがありました。当時は特にこれといったものがある場所では無かったですが、のんびりとした気持ちの良い所でした。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【ウェリガマ】伝統の一本釣り、竹馬漁|旅の玉手箱 スリランカ編-3

【ウェリガマ

珍しい漁法があるということで、是非とも見学させてもらおうと思い立ち寄りました。

昔から伝わっている伝統漁法なんて聞くと、やはり見てみたくなるものです。

伝統漁「リティパンナ」は竹馬漁とも呼ばれていましたが、浜からそれ程遠くない位置に、竹馬の一本の足を逆さに海の中に突き立てたような木の棒に座って、原始的な釣り竿で一本釣りを行う変わった漁法でした。

リティパンナ
リティパンナ

呑気な感じがする釣りです。

合理的かどうかを考えるときっと合理的ではないと思うのですが、合理的なものが必ずしも正解とは限らないと思いますので、一見無駄なようでも意味はありそうです。

投網で一網打尽にすれば、短時間で大漁も可能そうですが、必要以上に摂らないのは、海と共存していく知恵なんでしょう。

また時計の針の動きばっかり気になってしまい、時間に追われた都市生活を送っているのとは真逆の空間があるようでした。

のんびり、魚が釣れようが釣れまいが、その時の運の神さまにお任せの呑気さが伝わってきました。

とても平和でした。

リティパンナ
リティパンナ

【人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる。 Hatred ceases not by hatred but by love】

私がスリランカに行った動機はインドの観光ビザを取得する為でした。

だたそれがスリランカという国のことを知るきっかけになり、スリランカの人々は非常に親日だということを肌で感じることとなりました。

スリランカに行けたことは、本当に私にとってはありがたいことでした。

【人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる。 Hatred ceases not by hatred but by love

この言葉を初めて知ったのはスリランカを旅行する際に携帯していた、ガイドブックの「地球の歩き方 スリランカ」からでした。

旅行のガイドブックですが、ガイド関係以外にも小話やちょっとしたエピソードが面白いので本を読む感覚で楽しめたのですが、その中に「人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる」この記事を読んだ時には自然と目に涙が滲んできて、なぜ今まで知らなかったのだろう、スリランカに来てこの事を知ることができたことは本当に幸いだなぁ、そのように感じたことが今でも記憶に残っています。

まさか旅行のガイドブックで泣くとは思いませんでした。

仏教 スリランカ

太平洋戦争の敗戦後、日本の今後についてどのようにするのか?が話し合われた「サンフランシスコ講和会議」の席で、セイロン(スリランカ)代表のジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏(後のスリランカ2代目大統領)の演説が日本の未来を救ってくれたという歴史を知りました。

もし彼のこの演説が無ければ日本は戦勝国側である米国、英国、中国、ソ連の四大国によって、本州、北海道、九州、四国と四つに分割統治されていたかもしれないというのです。

演説では戦争でセイロンが受けた損害に対して、セイロンは損害賠償を望まないと発言した後に、仏陀の教えである「人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる」この言葉へと続きます。

演説の後は万雷の拍手が鳴り止まなかったそうです。

そのような歴史的背景があり、日本はスリランカに対して出来る限りの経済援助を行ったのもあり、私は何もしていませんが日本の先人たちのお陰で、おもてなしを受けたように感じることになった程です。

改めて「サンフランシスコ講和会議」でジャヤワルダナ氏の発言の内容を噛みしめてみると、かつての日本人が毅然として精一杯生きていたのも分かりました。

HanaAkari

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