旅の玉手箱【スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ】〈スリランカ編-10〉

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スリランカ国内での動き
  • ダンブッラ
    Dambulla
    〈シーギリヤ〉観光も終え、〈キャンディ〉に戻りました
  • キャンディ
    〈Kandy〉
    〈キャンディ〉は非常に居心地が良い落ち着く場所だったので、インドへのフライト予約がある日から逆算して、なるべくここで過ごしてから〈コロンボ〉に行くことにしました。
  • コロンボ
    〈Colombo〉

    インド〈チェンナイ〉へのフライトの少し前に戻ってきました。スリランカを旅行中に気になったことがあったので、日本大使館で聞いてみようと思い尋ねてみました。

  • スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
    Sri Jayawardenepura Kotte〉

    スリランカの首都。首都移転計画によって1985年に〈コロンボ〉から遷都されました。再開発された新しい町でしが、町に人の活気はありませんでした。行政地区としてインフラ整備はされていても、人の動きが追い付いていないような印象でした。〈コロンボ〉から10キロ程離れた所ですから、日帰りで行きました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ】日本人という印籠効果に唖然となりました。|旅の玉手箱 スリランカ編-10

【スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ

スリランカの首都は〈コロンボ〉ではなく、〈スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ〉という舌が絡まってしまいそうな、新しく造成された町です。

日本と非常に親密で良好な関係を築いた、スリランカの二代目大統領〈ジャヤワルダナ〉氏の名を引用して名付けられたそうです。

新首都計画によって〈コロンボ〉から行政機関などの移転を行ったようですが、私が訪れた時にはインフラは進んでいるようでしたが、町としては人の姿の少ない閑散とした印象でした。

〈コロンボ〉から10キロ程の位置にあるというので、日帰りで観光に行ってみたのです。

湖の中に日本の経済援助によって建てられた立派な国会議事堂があり、計画的に造られた都市ならではの綺麗なまとまりがありました。

湖にある島に大きな国会議事堂が、静かに鎮座しているのを対岸から見学しましたが、建物は立派ですが人の気配を感じないのが、不気味でもありました。

写真を撮っていると、俄かに騒がしくなり嫌な気配を感じました。

どこからともなくボートに乗った警察か軍人かが、警告を発しながら近づいてきて、「写真撮影禁止!」という注意がアナウンスされています。

これは不味い事になったと動揺し、心拍数が上がりました。

結構な剣幕でボートが近寄ってきたので、フィルムを没収されるのかと思ったのですが、出身地を聞かれ「日本」だと返答した瞬間に、険悪な空気は一転したのが嘘のようでした。

重ね重ねスリランカで体験した日本人贔屓がこんな所でも発揮されるとは思いも寄らず驚いたものです。

日本人というだけで、時代劇で見た水戸黄門の印籠のような効果が発現するような感じです。

恐らくセキュリティーの問題があるから写真撮影は禁止なのでしょうが、フィルムも没収されることもなく、「写真撮影はダメだよ♡」と軽く終わったので、あっけにとられてしまいました。

私の顔は、まさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔だったことでしょう。

また私は日本人ですが、日本人というだけで、あれ程に贔屓されることがあっていいものか?と自問することにもなりました。

悪い気はしませんでしたが、心には居心地の悪さを感じ、違和感は否めないものでした。

仏像

【人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる。 Hatred ceases not by hatred but by love】

私がスリランカに行った動機はインドの観光ビザを取得する為でした。

だたそれがスリランカという国のことを知るきっかけになり、スリランカの人々は非常に親日だということを肌で感じることとなりました。

スリランカに行けたことは、本当に私にとってはありがたいことでした。

【人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる。 Hatred ceases not by hatred but by love

この言葉を初めて知ったのはスリランカを旅行する際に携帯していた、ガイドブックの「地球の歩き方 スリランカ」からでした。

旅行のガイドブックですが、ガイド関係以外にも小話やちょっとしたエピソードが面白いので本を読む感覚で楽しめたのですが、その中に「人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる」この記事を読んだ時には自然と目に涙が滲んできて、なぜ今まで知らなかったのだろう、スリランカに来てこの事を知ることができたことは本当に幸いだなぁ、そのように感じたことが今でも記憶に残っています。

まさか旅行のガイドブックで泣くとは思いませんでした。

仏教 スリランカ

太平洋戦争の敗戦後、日本の今後についてどのようにするのか?が話し合われた「サンフランシスコ講和会議」の席で、セイロン(スリランカ)代表のジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏(後のスリランカ2代目大統領)の演説が日本の未来を救ってくれたという歴史を知りました。

もし彼のこの演説が無ければ日本は戦勝国側である米国、英国、中国、ソ連の四大国によって、本州、北海道、九州、四国と四つに分割統治されていたかもしれないというのです。

演説では戦争でセイロンが受けた損害に対して、セイロンは損害賠償を望まないと発言した後に、仏陀の教えである「人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる」この言葉へと続きます。

演説の後は万雷の拍手が鳴り止まなかったそうです。

そのような歴史的背景があり、日本はスリランカに対して出来る限りの経済援助を行ったのもあり、私は何もしていませんが日本の先人たちのお陰で、おもてなしを受けたように感じることになった程です。

改めて「サンフランシスコ講和会議」で氏の発言の内容を噛みしめてみると、かつての日本人が毅然として精一杯生きていたのも分かりました。

HanaAkari

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