旅の玉手箱【コダイカナル】〈南インド編-4〉

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旅の玉手箱 (コダイカナル) 旅の玉手箱〈南インド編〉
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インド国内での動き
  • コーラム
    Kollam
    〈バックウォータークルーズ〉で知り合った香港人2人と韓国人1人と共に、旅は道連れで寄り道をすることになりました。
  • マドゥライ
    〈Madurai〉
    当初〈コーラム〉から〈トリヴァンドラム〉へ行く予定でしたが、旅は道連れということで、アジア人3種のチームでしばし旅行を楽しみました。いい経験になりました。
  • コダイカナル
    〈Kodaikanal〉

    〈コダイカナル〉は、標高の高い高原にある避暑地として開かれた町です。〈サティヤ・サイババ〉の別荘がありました。

  • トリヴァンドラム
    〈Torivandrum〉

    ここの空港からスリランカの〈コロンボ〉まで飛行機に乗りました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【コダイカナル】サイババがいたかも?|旅の玉手箱 南インド編-4

【コダイカナル

私の選択肢には無かった〈コダイカナル〉行きでしたが、旅は道連れの流れに身を任せ、香港人AさんとTさんの提案で、韓国人Hさんと、日本人の私を合わせたアジア人4人組は、高原の避暑地を目指しました。

集団になれば心強いものです。

〈コダイカナル〉では4人組という利点を生かして、一軒家のバンガローに宿泊しました。

しかし、避暑リゾートのはずが、驚いたことに寒かったのです。

4月だったと思います。

避暑地として開かれた町は、避暑どころではなく少々感狂いました。

寒さからかでしょうか?疲れでしょうか?韓国人のHさんが風邪をこじらせてしまい、ダウンするという事態になりました。

驚くことにバンガローには暖炉があったので薪を買って焚いたのですが、よく考えてみたらインドらしからぬ感じです。

ただインドは広いうえに高低差もある地形ですから、実際に場所によって様々な気候があったのですが、暑い印象が強いために、突然寒いと訳が分かりませんでしたが、その場でなんとか対応するしかありませんでした。

静かな町には湖があり、白鳥の足漕ぎボートがあったのがあまりにインドっぽくなくて、失礼ながら可笑しかったです。

コダイカナル

その湖の湖畔には一世を風靡したインドの精神的指導者〈サティヤ・サイババ〉の別荘があったのですが、その時にそこに〈サイババ〉がいたのかは定かではありませんが、別荘の前には信者らしき人が数人、白いクルタパジャマ姿で並んでいました。

追っかけのようなものなのか、真剣なものなのかも分かりませんが、もしかしたらあの時〈サティヤ・サイババ〉はあそこにいたのかもしれません。

アフロヘアーが独特だった〈サティヤ・サイババ〉に、偶然にアプローチしたようでした。

コダイカナル

この〈コダイカナル〉で他のメンバーとはお別れになりました。

私はケーララ州の〈トリヴァンドラム〉まで戻り、そこから飛行機でスリランカに行き、再びインドビザを取得して戻ってくる予定でした。

インドの旅をスタートさせたばかりだった韓国人のHさんとは、大体いつ頃に〈デリー〉で再会しようと、口約束を交わしましたがニアミスでインドでは再会することはできませんでした。

私はスリランカの後、再び戻ったインドの旅の後半で多くの韓国人と知り合い仲良くなったので、インドから帰った後には韓国に遊びに行ったのですが、その時にはHさんと〈ソウル〉で再会を果たせました。

アフロヘアーがトレードマークだった、〈サティヤ・サイババ〉

〈コダイカナル〉の湖畔に、たまたま〈サティヤ・サイババ〉の別荘を見つけたのですが、一番の拠点は〈プッタパルティ〉という場所にありました。

インド映画を見ていると〈プッタパルティ〉というフレーズが耳に入った記憶がありますが、〈サティヤ・サイババ〉に関係があったようです。

〈サティヤ・サイババ〉はメディアへの露出も多く、アフロヘアー姿、手から「ヴィブーティー」と呼ばれる聖灰を出したり、手品めいたパフォーマンス、奇跡現象など、目立つカリスマ性のあるグルジーでした。

また、〈サティヤ・サイババ〉は、先の聖者〈シルディ・サイババ〉の生まれ変わりと言われていましたから、この二人の〈サイババ〉の写真やグッズはよく見かけました。

HanaAkari

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