- タワウ〈 Tawau〉
インドネシアの〈ヌヌカン〉から船で、東マレーシア、サバ州〈タワウ〉に入国しました。その日のうちにサバ州〈サンダカン〉まで行きました。
- サンダカン〈Sandakan〉
大正時代の頃、売られてきた日本女性が娼婦として働いていた売春宿があった場所として有名です。遠い異国の地で亡くなった日本人売春婦のお墓もありました。近郊にある〈セピロック・オランウータン保護区〉へもここから日帰りで行きました。
- コタキナバル〈Kota Kinabalu〉
記憶がなく宿泊したのかどうかは定かではありませんが、ここから〈ブルネイ〉に向かって船に乗りましたので、宿泊したとしても一晩だけで、次の日には〈ブルネイ〉を目指したと思います。 - ラブアン島〈Labuan〉
〈コタキナバル〉から高速の船で〈ラブアン島〉まで移動し、また別の船に乗り替えて〈ブルネイ〉に向かいました。 - ブルネイ〈Negara Brunei Darussalam〉
正式には〈ブルネイ・ダルサラーム国〉。首都の〈バンダルスリブガワン〉に数日間いました。
このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【サンダカン】八番娼館があった港町|旅の玉手箱 マレーシア編-3
【サンダカン】
旅行中の出来事で意外な展開になって楽しかったことに、旅行者同士で所持している読み終わった本を交換し合ったことがあります。
携帯に便利なように単行本が主流で、旅行者の間を回り回っているので、少々ボロボロで表紙は無くなっているのが大半でした。
この交換の面白いところは、自分が普段読むことのないようなジャンルの本を読む機会になったことです。
お互いの持っている本を交換するので、選んでいる余地がないことで、新しい発見になったりしました。
あと旅行先の場所にちなんだ作品も多かったです。
そういった経緯で、私はサンダカンに行く前に「サンダカン八番娼館」というサンダカンで日本人娼婦として働いたいた人々のことを書いたノンフィクションの本を読んでいました。
かつて港町として栄えたサンダカンには大正時代の頃、日本から売られてきた若い女性が日本人娼婦として働く娼館があったようです。

その先入観があったからか、サンダカンの町は何か寂しげで、熱帯地帯なのに南国の晴れやかな雰囲気はなく、物哀しい雰囲気がしました。
たまたま見つけた宿は、民家の一部を旅行者に提供しているような宿でした。
以前は商店でもしていたような店舗住宅のような感じで、正面はコンクリートの広い土間になっていて奥に住民の方の住居と、宿泊客の為の部屋がありました。
しかも門限があって、それも夕方の6時頃だったので夜は部屋に籠もっていました。
なぜ門限があったのかは分かりませんが、小さな子供たちがいたので、その子たちの門限になると表のシャッターを下ろしてしまうので、出入りすることが出来ないからではないかと推測しています。
家の方が感じの良い人だったので、悪い印象はありませんでした。

サンダカンで観光と散策をしたところ。
門限はありましたが、日中は観光や散策もしました。
セピロック・オランウータン保護区
サンダカンの町の近郊に「セピロック・オランウータン保護区」という、何らかの理由で親と生き別れたオランウータンの子供などを保護し、リハビリを行っている施設があり、日帰りで訪れました。
オランウータンはカリマンタン島とインドネシアのスマトラ島の一部にしか生息していない類人猿ですが、森の人と呼ばれるだけあって、人間とよく似ているなぁと思いました。
特に子供の愛らしさはそっくりです。

人の進化については最近では定説とされていたダーウィンの進化論も、矛盾点が指摘されることが多くなり、猿から進化したということも怪しくなってきいるようですが、オランウータンの子供を見ていると人間の赤ちゃんのように見えたので、猿と人間には何かしらの関連はあるのではないかと思いました。
ただの感情的な観点です。
外国人の観光客がそこそこ来ていました。
サンダカンの町では外国人は誰一人見かけなかったので、いったい何処にいたのだろうと思ったのでした。

サンダカン日本人墓地(からゆきさんの墓)
「からゆきさん」とは、大正時代頃に海外へ娼婦として働きに出た人のことです。
貧しい家の子が借金のカタに身売りされるように連れられていきました。
かつて港町として栄え、多くの外国の船が往来したサンダカンには、日本人娼婦が働く娼館があり、そこで亡くなった方もあったようです。
私が訪れた時は人の気配はなく、伸びた草がうら寂しいひっそりとした場所でした。
小高い海の見える場所から、日本を離れ娼婦として過ごした後に異国で亡くなった方々は何を思い、何を見ているのだろうか…
天に還った魂は自由さ取り戻し、生まれ故郷に帰っていったのだろうか?二度と見たくない故郷だったのか?さらなる真の新天地を目指したのだろうか?ここに留まっているのだろうか?
きっと向こうに見える、あの海の先に行けたはずだと思います。

高台へ上って行くと日本人墓地はありましたが、墓石は風化していて半ば草に埋もれたような感じだったのが、非常に印象に残っています。
ただ空からは南国の強い陽が射し、風がそよぐ海の見下ろせる場所は心地よく、救いのようでもありました。
人々の記憶から忘れ去られていく歴史のかけらだとは思いつつも、往来する船を見下ろしながら、なんとも切ない気持ちになったものです。
HanaAkari