このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【マクドナルドは羊肉】宗教事情で|旅の玉手箱 インド雑学編-3
【マクドナルドは羊肉】
インドのマクドナルドの肉はマトンでした。
デリーにいる時には数回、インドでは贅沢だったマクドナルドへ行き、カレー味に飽きてきた私の舌を満足させてあげました。
見た目は同じでも、肉が違うと味に若干の違いは感じましたが、概ね馴染みのあるマクドナルドの味で嬉しかったです。
インドオリジナルメニューのマサラ風味のものもあったように思いますが、挑戦はしませんでした。
インド人の大半が信仰しているヒンドゥー教では、牛は神様の乗り物として神聖な動物になりますので、食肉にするなんて行為は大きなタブーです。
同じようにイスラム教徒にとっては豚は穢れた生き物ですから、こちらも食するなんてもっての外になります。
宗教戒律の間を縫って、インドのマクドナルドの肉の素材として〈羊肉〉が選ばれたようですが、苦肉の策のようにも感じました。
ヒンドゥー教徒には肉を食する習慣がないようでベジタリアンが多いようでしたから、マクドナルドに来ているインド人はイスラム教徒やシーク教徒などの、ヒンドゥー教徒以外の方が多かったのではないでしょうか?
また、インドの物価からするとマクドナルドは非常に高価でしたので、ハンバーガーは富裕層しか食べることが出来ない、庶民には高嶺の花のようなものだったと思います。
日本でも私が幼少期の頃は、マクドナルドはファストフードとう感覚ではなく、親に連れて行ってもらうちょっとしたレストランのようだったことを思い出しました。
インドの文化、風習は宗教と深いつながりがあることが多くあります。
日本人からするとインドは宗教色が強い国だと思います。
現在はインド人の8割はヒンドゥー教徒ですので、大まかにはヒンドゥー教徒の国と言っても過言ではありませんが、インドの面白いところは他の宗教も混在しているところでした。
ヒンドゥー教徒〈インド人口の約80%〉
バラモン教から、よりカジュアルで庶民的に形を変えたヒンドゥー教。
多種多様の神々が独特で魅力的でした。
非常に人間臭く俗っぽい神様の逸話も楽しいですし、真剣に日々祈りを捧げる人々の姿には考えさせられるところもありました。
ヒンドゥー教徒の大半はベジタリアンですので、インド人の大半はベジタリアンになります。
イスラム教徒〈インド人口の約14%〉
12世紀頃から西方よりイスラム国家がインドに進出してきてからムガール帝国が終焉する18世紀頃までは、イスラム国家の支配下にありましたから、インドにはイスラム建築も多くありました。
有名なのが「タージ・マハル」です。
イギリスの植民地時代を経て、インドが独立する時にイスラム教徒の多く住む地域は「パキスタン」と「東パキスタン(現在のバングラデシュ)」として別の国になりましたので、インドのイスラム教徒は14%ほどです。
シーク教徒〈インド人口の約2%弱〉
インド人と言えば〈ターバン〉だとイメージされる方は多いのではないでしょうか?
実際は〈ターバン〉を着用しているインド人は一握りしかいませんでした。
それがシーク教徒の男性です。
それ以外ですと砂漠の民やマハラジャの絵とかで見ました。
シーク教徒は戒律が厳しく、勤勉な方が多いと聞きました。
〈ターバン〉は戒律の一環で着用しているようです。
シーク教徒はインド北西部にありますパンジャーブ州に多く、同州にある〈アムリトサル〉にはシーク教の聖地〈ゴールデンテンプル〉があります。
ジャイナ教徒〈インド人口の約0.4%〉
非常に戒律が厳しい格式高い宗教。
インド中西部グジャラート州〈パリタナ〉に聖地がありました。
インド人の知人にジャイナ教徒の方がいましたので、少しジャイナ教のことを教えてもらいましたが、厳格なジャイナ教徒は呼吸をする時に虫を吸い込んで殺してしまう可能性があるので、いつも口を白い布で覆っていると聞きました。
もちろんベジタリアンなのですが、根菜は収穫する時に土の中の虫を傷つける可能性があるので食べないそうです。
知人はそこまで厳格なスタイルでは無かったですが、「インドの中にあってもジャイナ教徒は信用できて安心だよ」、「ジャイナ教徒は嘘つかない」と「インド人嘘つかない」みたいなことを言っていました。
仏教徒〈インド人口の約0.7%〉
インドはお釈迦様が生まれた国ですから、仏教発祥の地なのですが、かつては栄華を誇った仏教も一度はインドの地から消え去っていました。
20世紀に入ってから息を吹き返したようですが、その背景にはカースト制度が色濃く残るインドでは不可触民(アンタッチャブル)と呼ばれる存在があったからのようです。
不可触民は、文字通り触れるのもはばかられる民、汚れた存在とされる人々です。
カースト階級よりも下、カースト外の汚れ仕事を担ってくれる、本当は一番尊い方々です。
ヒンドゥー教にあってカースト制度がある以上、一生不可触民としての人生を送る以外の道しかありませんので、それを解消するためにカーストのない仏教徒に改宗する動きが起こったのでした。
今なおインドの地でインド国籍を取得し、〈ナグプール〉という場所で、一人の日本人のお坊さんが奮闘されています。
佐々井上人です。
私が旅行中もこの佐々井上人に憧れて、〈ナグプール〉を訪れたという旅行者に出会いましたし、佐々井上人以外にも、インドの地に日本の仏法を帰すという、崇高な目的に魂を燃やされている方々もありました。
現在のインドの仏教事情は、昔インドで生まれた仏教が東方に広がり、それがインドに逆輸入されるような現象が起こっているような感じがします。
キリスト教徒〈インド人口の約2.3%〉
キリスト教徒も、仏教徒と同じく、脱カーストの意味合いが強いと聞きました。
古くはカースト制度は差別的な感覚ではなく、よりよく全体で生きる為の一つの智慧だったそうですが、現代は違った角度からの思想も入ってきたことで、新しい局面を迎えて変化の時にある感じがします。
問題も多いようですが、宗教の坩堝がインドの魅力ですし、宗教の錬金術を期待します。
インドにはゾロアスター教徒(拝火教徒)もいるようですし、カーストという特殊な制度もあり、様々な思想も混然一体となっているところから対立も多くあるようですが、その反面思想の融合が起これば凄い事になるような気がします。
宗教、思想のカオスからのインドマジックらしい錬金術を期待しています。
HanaAkari