このブログは私がバックパッカーとして、2000年11月~約半年の間に二度目のインド・ネパールの旅で訪れた仏教聖地を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【危険な旅行会社】怖い常識の違い|旅の玉手箱 アクシデント編-15
【危険な旅行会社】
インド、デリーの安宿に宿泊している時でした。
デリーでは大抵、日本人が多く利用する決まった安宿を利用していましたから、私は宿のスタッフに顔を憶えられていたのです。
ある日、宿のスタッフが私の部屋にやって来て、「助けて欲しい」とお願いされました。
「とにかく一緒に来てくれ」というので着いて行くと、日本人の女子大生2人組が宿泊している部屋に連れて行かれたのです。
二人の女性は初めてのインド旅行で、早速デリーにて様々な嫌な経験をし、もうインド人は信用できない、一歩も部屋から出たくないという心境に陥っていました。
騙し、ぼったくりなど、日本人はカモのような存在でしたから、日本でいる時と同じ感覚のままインドに来ると、初めはそのようになる人は多かったです。
私が日本語で話し掛けたので、少しは安心したようで事情を説明してくれました。
旅行代理店で列車の切符を手配したのだけれど、半額のデポジットを払ったが、その後に酷くぼった食った金額だったと知り、キャンセルしたいが怖くてどうしていいか分からない、インド人は誰も信用できないと心を閉ざしてしまっていました。
さらにはその旅行代理店のスタッフが宿まで追い掛けて来て、外で待っているという状況もあり最悪でです。
彼女たちは、この時点でインド人のすべてが信用できなくなっていたので、ここのスタッフの言葉にも聞く耳を持たず途方に暮れていたのでした。
人を信用する日本人の美徳は、インドを旅する時には仇となることがあったのは確かなので、疑うことも必要でした。
私はこれまでに知り会った旅行者からそのようなことがあるのは聞き知っていましたので、キャンセルをしに旅行代理店に行くと脅されて危険な目に遭うのが分かりました。
実際にそのような経験をした人を多く知っていましたが、もしかしたら宿のスタッフは、絶対に向こうの場に行ってはならないことを伝えたかったのかもしれません。
この時は、一緒に下に行き、宿の電話を借りて日本大使館に助けを求めました。
事情を説明すると、日本大使館の方が追い掛けて来た男と直接話してくれました。
その後、男は渋々、彼女らが払ったデポジットをその場で返金したので、事なきを得ました。
インドの旅行会社で、実際に私も恐怖体験をすることになる。
前の出来事から数日後のことでした。
また、安宿のスタッフが「助けてくれ」と私の所にやってきたのです。
同じように日本人の女子大学生2人組に説明して欲しいという内容でした。
二人の女子大学生も列車の切符を予約したけれど、恐ろしくぼられていたことを知り、これからキャンセルをしに行くという話でした。
間の悪いことに、その日はインドの祭り〈ホーリー〉の日で、祝日でしたので、日本大使館も休みでした。
〈ホーリー〉の祭りでは人々は狂ったように大はしゃぎして、色の付いた粉と水を掛け合うのです。
私は午前中に色まみれになったので、宿に戻りちょうどシャワーを浴びた後でした。
さらに〈ホーリー〉の日は、性的な無礼講が許されるという民衆解釈があり、インド人のヒンドゥー教徒の男性の中には、この日だけ宗教戒律から解放され酷く風紀が乱れる者がいるので、女性が外を出歩くのはとても危険でした。
よりによってそんな日に、しかも行くと十中八九、嫌な目に遭うだろう旅行会社にキャンセルに行くというのは無謀過ぎる行為だったのです。
それを説明しても2人は旅行の日程に余裕が無いから、一日たりとも無駄にしたくないということで、今から行くと言って譲りませんでした。
仕方がないので、近くにいた日本人男性2人に声を掛け私も含めて同行することにしました。
案の定、宿から一歩出た途端、酔っぱらったインド人の若い男衆が、2人の女性にお触りをしに群がり、痴漢が止まりません。
埒が明かないので、パンチを食らわして追い払うことになりました。
女性だけですと、もみくちゃにされてしまったことでしょう。
面白いのは、そんな日でもヒンドゥー教徒以外の人には関係のないお祭りですから、シーク教徒(頭にターバンを巻いている)のドライバーが運転するオートリキシャが捉まり、旅行会社のあるコーンノートプレイスまでは、無事に到着できたのです。
普段は大勢の人々で賑わっていたコーンノートプレイスですが、この日は人の姿が見当たらずゴーストタウンのような感じで、なぜ旅行会社だけは営業しているのかも不思議なくらいでした。
多分ヒンドゥー教徒ではないのでしょう。
ここからが恐怖体験の始まりですが、まず特別な日だったことも私たちに運が悪かったのは間違いありません。
恐怖① オフィスに閉じ込められる。
私たちが旅行会社のオフィスに入ると、入り口の鍵を掛けられてしまい、中に閉じ込められる状況になりました。
それに、〈ホーリー〉の関係で客引きも出来ませんから、オフィスにはスタッフが大勢いました。
10人程いました。
オフィスはガラス張りなので、外は見えますが人通りは一切なく、ドアの前には屈強そうなガタイをした男たちが立ち塞がるように並んで立ちました。
ほとんどの輩は体格が良く、仮に一対一で喧嘩になっても勝ち目がないのが分かります。
一人だけ見た目からしてインテリ風の奴がいました。
恐怖② 私だけ他の日本人と分断され孤立する。
旅行会社のオフィスにはガラス張りの壁で仕切られた部屋がもう一つ奥にあり、そこはボスの部屋のようでした。
他の4人はそこに入り、キャンセルの交渉を始めましたが、スペースの関係で全員が入りきらず、私だけ手前の部屋に取り残されました。
奥の部屋には、ボスの他に3人の強面のスタッフが同席して、私たちは完全に包囲された袋の鼠になりました。
恐怖③ 途中で警官がやってくるが、金を握らされて帰って行きました。
キャンセルの交渉は当然、ヤクザな展開になり、キャンセルするのならデポジットの分をキャンセル料金として支払えという話になっていました。
女子大学生2人は、デポジットで200ドルを支払っていたのですが、そもそも400ドルの切符を買わされていた時点で当時のインドでは有り得ない金額だったうえに、何もしないで200ドルを巻き上げようとしているのです。
当然、受け入れるはずは無いのですが、話は平行線を辿るだけでした。
しばらくすると、一人の警官がやって来たので、一瞬「助かった」と思ったのも束の間、金を握らされて何事も無かったかのように去って行きました。
恐怖④ 「ここはインドだ」と一蹴される。
私は一人前室のソファーに腰掛けながら、余裕な素振りを演出しようと思い、タバコを吸っていましたが、膝は震えていました。
何か打開策はないものかと考え、日本大使館に助けてもらった出来事から「こんなことしたら日本大使館に訴えるよ」と言ってみましたが、あっさりとインテリ風の男に「ここはインドだ」と一蹴されて終わりました。
その時の、人を食ったような笑みの卑しかったこと。
恐怖⑤ 奥の部屋では、ナイフが持ち出され「殺すぞ」という言葉も飛び出します。
お互いに一歩も譲らず、語気が粗くなって行く中で、ボスのインド人はデスクの引き出しからナイフを持ち出して脅し始めました。
「殺すぞ」と連発しています。
ただの脅しで実際に手を出さないだろうと思っていても、やはり怖いものです。
女性の一人は泣き出してしまいました。
ただ、もう一人の女性は強気に闘うことを諦めず、男性の一人は同じように凄い剣幕で立ち向かっています。
もう一人の男性がヒートアップしたインド人スタッフと日本人との間に入り、冷静に諫めてそれ以上に発展するのを防いでいました。
恐怖体験の顛末
このままではいつまで経っても解決しないばかりか、ますます熱を帯びてくる状況に危機を感じた私は、女子大生に泣き寝入りの妥協案を伝える為に、話をさせてくれとインテリ風男に申し出ました。
中に入り、日本語で伝えます。
さっきボスはキャンセル料金は、デポジットに払った半額の100ドルでいいと言ったので、それで手を打つのはどうかと伝えたのです。
どう考えても筋が通らない事ですし悔しさもありますが、命の危険を考えて女子大学生2人に答えを出してもらいました。
それで、100ドルをドブに捨てる形で幕を引いたのです。
余談ですが、100ドルを返してもらい、女性2人と男性1人が外に出た時に私ともう一人の男性は再びオフィスに閉じ込められました。
というのも閉じ込められた男性がレシートを手渡さなかったからです。
レシートさえあれば、それが証拠になりますから後からでもお金を取り返すことも可能だったかもしれませんが、相手はそれが分かっていますから、男性がレシートを強く握りしめ絶対に渡さないものだから、そういうことなったのでした。
外を見ると強気だった方の女性が助けを求めに走って行きましたが、外には人の姿はありません。
普段の日ならまた違った結果もあったかもしれませんが、この日は〈ホーリー〉です。
これ以上はナンセンスだと思った私は、レシートを渡すように促しました。
以上です。
HanaAkari