「その時はただ茫然とその光を眺めながら、綺麗だなぁ、これって「銀河鉄道」みたいだなぁと夢か現かも分からないような「蛍の光」に融けこんでいました」
「もし死後というものが存在して、この世からあの世へ移動する時には、あの時のような「蛍の光」の「銀河鉄道」に乗って行きたいですね」
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【蛍の光】夢か現か?車窓の向こうは霊魂の軌道?|言葉の小槌11
【蛍の光】
「蛍の光」といえばスーパー等の閉店間近に流れる定番の音で、唱歌の「ほ~た~るの~ひ~か~り~」の穏やかな曲調に急かされてレジへと向かうことがしばしばです。
「蛍の光、窓の雪、書読む月日、重ねつつ、いつしか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く」
「蛍の光や窓から差し込む雪明りで本を読む日々、月日は流れ、過ぎ去った扉を開けて、今朝は友達との別れの時」
そういえば私の幼少の頃は卒業式でも定番でしたが、後に「贈る言葉」が新定番となったように思いますし、こういった定番は世代ごとで違うということに、時代の流れを感じることができて趣を感じます。
こういった感覚はある程度歳をとって、嫌でも歴史が増えた状況になったことで味わうことができることだと思いますので、年齢を重ねることの魅力でしょう。
もちろん魅力は増えますが、老眼とか膝が痛いとか若い頃には全くなかった体の不具合も増しております。
果たして蛍を集めてきたその光で本を読むことができるのだろうか?私は可能だと思います。
「蛍火のランタン」なんてとても幻想的で憧れます。
私は日本では自然の蛍を見たことがないのですが、年配者のお話では昔は日本には蛍がいっぱい居たようですので、ある程度の数は意外と簡単に集めることができたことでしょう。
私も一度だけバングラデシュを旅行中に圧巻の蛍を偶然見ることがあったのですが、あれだけの蛍がいればかなりの光量の「蛍火ランタン」ができることでしょう。
実はバングラデシュで一番記憶に残っているのが「蛍の光」です。
その時、私は日本では患うことのない「アメーバ赤痢」からの病み上がりで、かなり衰弱している状態でインドに向けて陸路を移動していました。
しかも当時、バングラデシュ内の所々で暴動があり、予定していたルートを通ってインドとの国境に向かうことができず、インド国境に向けて最後の列車に乗る予定で駅まで行ったのですが、目的地行きの列車は運休状態という不測の事態に遇いました。
別の方法を探し悪戦苦闘していると、同じように仕事でインドに行く予定だったバングラデシュ人の男性と知り合い、その人が別ルートでインドに向かうということで一緒に連れて行ってもらい、非常に助けられたことがありました。
バスに乗って別の駅に移動して、そこから列車で移動して当初予定していた国境とは別の国境に向かうことになりました。
あの頃はスマートフォンでググることはできなかったですし、ガイドブックにも載っていないようなルートでしたので、その方がいなければ行けなかったと思います。
列車もその方が交渉してくれて客席が空いていなかったのですが、貨物車みたいな所に乗せてもらうことができました。
暑い最中、衰弱した体で朝から強行での移動と想定外の出来事で、私の体力は底を尽きかけていたので、気を抜いて腰を下ろすことができることは本当に救いでした。
夕方頃に乗った列車はずっと左右とも田んぼの中を走っていて、時折木々ががあるといった風景が変わらずにあったことは朦朧とした意識の中に残っています。
そんな折、辺りは薄暗くなってきてより一層まどろむ状態でしたが、私の目には大量の点滅するオレンジの光が、走る列車の両側に限りなく見えていました。
それが蛍だと気が付くのには少し時間が掛かりました。
ぽつぽつと点滅しているではなく、線路に沿って二条の光の帯がずっと続いているのです。
列車は私達を乗せてその中をただ走っていました。
元気でしたら驚きの声をあげていたかもしれませんが、その時はただ茫然とその光を眺めながら、綺麗だなぁ、これって「銀河鉄道」みたいだなぁと夢か現かも分からないような「蛍の光」に融けこんでいました。
もし死後というものが存在して、この世からあの世へ移動する時には、あの時のような「蛍の光」の「銀河鉄道」に乗って行きたいですね。
その時は、名もなき駅の9と4分の3番線から発車する「銀河鉄道」に乗って「蛍の光」の星々の間を通って「先」へ行けることを希望します。
HanaAkari