冬はつとめての「つとめて」は古文の表現で、現代ではその意味としては使われない言葉ですが、「早朝」という意味であると、義務教育で教わったことをいまだに憶えています。
「枕草子」の時代とは生活環境は大きく違いますが、冬の早朝の静寂と凛と張り詰めた空気の中では、自然と背筋が伸びて襟を正す瞬間が訪れます。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【冬はつとめて】清少納言の良き早朝に共感します|言葉の小槌132
【冬はつとめて】
有名な日本の古典文学で、清少納言の感性が美しく表現されている「枕草子」の冒頭の、四季に対する感覚には共感するところが多くあります。
春はあけぼの。
夏は夜。
秋は夕暮れ。
冬はつとめて。
冬はつとめての「つとめて」は古文の表現で、現代ではその意味としては使われない言葉ですが、「早朝」という意味であると、義務教育で教わったことをいまだに憶えています。
「冬は早朝が良い」という清少納言には共感します。
「枕草子」の時代とは生活環境は大きく違いますが、冬の早朝の静寂と凛と張り詰めた空気の中では、自然と背筋が伸びて襟を正す瞬間が訪れます。
そこにはしんしんと静まり返った世界があり、真っ新な始まりがあるようです。
その刹那を過ぎると、大急ぎで暖を取ることに意識が向き、慌しく動き始めます。
そうしなければ、寒さでどうにかなってしまうのが肌で分かるだけに切実です。
「枕草子」では非常に寒い朝に火を急いで起こす為に、炭を持って運ぶのが、とても似つかわしい光景で良いとされていますが、今は炭を使うことは想像でしかありませんが、急いでストーブのスイッチを入れるようなものですので、やっている行為は今も昔も変わらないなぁ~と、しみじみとしてしまいました。
町の生活では車の音が朝早くから聞こえ、静寂と呼べる時間は短くなっているように思いますが、年末年始の休みの時期には、普段交通量や人通りの多い都心ほど極端に静かになりますので、個人的には好きな光景です。
元旦のお参りも、特に大きな神社は0時には非常に混雑しますので、そのピークを過ぎた午前4時頃にお参りに行くのも乙なものです。
お正月の時期は町でも清々しい凛とした空気が味わえるので、いいですね。
「冬はつとめて」をよく実感することが出来る、とっても冬らしい素晴らしい時だと思います。
清少納言「枕草子」冬を現代風にアレンジしてみるとどうなるか?
冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず、霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もてわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。
清少納言:「枕草子」より
原文を現代風にアレンジして遊んでみようと思います。
冬は早朝がいい。
雪が降っている朝は言うまでないですが、足跡一つない雪化粧には子供たちは喜ぶだろうな。起きてきたらきっとはしゃぐだろうな。
急いでストーブのスイッチを入れよう。本当に冷える時はエアコンよりも灯油のストーブの方が相応しいように思う。
昼になって、寒さが緩んでも、窓には結露が垂れて、真っ白な雪景色も踏み荒らされてしまっていて、よろしくない。
これは大阪に珍しく雪が降った時の冬をイメージしていますので、地域によっては全く違うものになるでしょう。
環境によって感覚が違ってくるのは当然なのですが、それが違いとなって面白みが出ていいですね。
「枕草子」は四季の良さを時間帯で表現していますが、別のことで表現してみても、いとおかしではないでしょうか?
例えば、春は桜。夏は海。秋は食欲。冬はコタツ。
など、何でもできますが、「枕草子」のような情緒と美しさに欠けてしまうのは否めないです。
HanaAkari