言葉の小槌143 word is magic【すっからかん】

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言葉の小槌③ 言葉の小槌〈101~150〉
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「パチンコで負けてすっからかんやわ」このような使われ方をします。

私が小さな頃、家に泥棒が入ったことがあったのですが、その時に母が言った言葉が「うちはすっからかんやから獲るものなんてないわ」でした。

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【すっからかん】〈empty〉何もないわよです|言葉の小槌143

【すっからかん】

「すっからかん」=「何もない」「からっぽ」「empty」そのような意味です。

「パチンコで負けてすっからかんやわ」このような使われ方をします。

私が小さな頃、家に泥棒が入ったことがあったのですが、その時に母が言った言葉が「うちはすっからかんやから獲るものなんてないわ」でした。

その時は深夜に勝手口のドアノブの鍵を破壊して、侵入した泥棒が何も取らずに勝手口から出て行く後ろ姿を母が見たそうです。

狭い家でしたので、一階で寝ていた母の姿を見て、泥棒は物色することすら出来ずに慌てて退散したらしいのです。

警察が来て現場検証をしましたが、「ドアの鍵の解錠方法がプロの使う道具によるものですので、これはプロの手口ですとのことでした」

ドアノブに付いた傷跡の数から、事前に解錠できるのか?を下見に来て試しているようで、計画的犯行だということでした。

泥棒

確かに簡単に開けれそうなドアでした。

銀の掴む部分が飛び出した先にぽっちりがあり、それを奥に押し込むと鍵が掛かる仕組みのものです。

昔よくあったドアです。

母はしきりに「うちみたいなとこ入ってもすっからかんやから獲るものないのに」「すっからかんやのに」と言っていたのですが、内心は怖かったんだと思います。

何も獲られなかったので、問題は無かったということでは無かったのでしょう。

寝ている母に驚いて泥棒は逃げたから良かったもののです。

その後、勝手口には内側から掛けれる鍵が二か所、増設されました。

母が「すっからかんやのに」としきりに繰り返していた言葉の裏には、強がりというのか、自分を奮い立たせようとする心があったのではないでしょうか?

私の昭和40年後半から昭和50年代半ば頃までの昭和感

まだファミコンもなく、遊びはもっぱら外ですることが多かったです。

ゲーム機が出てくる前までは選択肢が少なかったので、自然とそうなったのだと思います。

室内での遊びといえば、トランプ、花札、かるた、ボードゲームといったものでした。

初和風

私がやったお外での遊び

《凧あげ》お正月には凧あげは定番でした。日本凧よりも「ゲイラカイト」という三角形をした、海の向こうからやってきた凧をよく上げました。

《コマ回し》今ではお正月の出し物のような感じになっていますが、昭和の子供は普通にやっていました。

《竹馬》私は熱中しました。竹製ではなく、金属とプラスチックのものでした。物干し棹に高さ調節ができる足場が付いたような作りでした。

《ビー玉》ビー玉を手の親指と小指を付けたまま伸ばした先から弾いて、決めたゴール地点まで誰が一番早く行けるかといった遊びがありました。

《べったん》数人で絵が印刷された厚紙を地面に置いて、順番に上から自分のべったんを地面に叩きつけて風圧で他人のべったんをひっくり返せば勝ちでした。牛乳瓶の蓋でもやりました。

《ゴムとび》大きな輪になったパンツのゴムを、二人の人間が肩幅くらいに広げた両足に掛けて、二本のゴムのラインを作り、そこを決まった動きで足を引っかけながら飛ぶのが楽しかったです。女の子に人気の遊びでしたが、私は近所のお姉さんたちに交じってよくやりました。

「ノータイム」という遊びで、低いところからクリアーしていくと、二本のラインの位置が少しづつ上に上がっていき、難易度が上がるという仕組みでした。

《プラスチック製のレモンと紐が一体化したやつ》30㎝くらいの紐の先にプラスチック製のレモンが付いている遊び道具でした。レモンと逆側の紐を足首に固定して、自分でくるくる回して紐が引っ掛かからないように飛び越えて遊びました。

個人的に意外性があって楽しかった遊び道具です。

ゲイラカイト
ゲイラカイト

花柄のデザインが目立ちました。

なぜか家電や様々な物のデザインに花柄が多かった印象があります。

炊飯器、ポット、容器などにバラの花が描かれていたりするのが定番だったのかもしれません。

昔の西洋風の花柄のようでしたが、なんか安物のロココ調といった感じでした。

今でも布団や絨毯などで見かける花柄に似ていますが、家電なんかに描かれていたものはそれの安っぽいスタイルでした。

下手に花柄を使うと華やかにしたつもりが、逆に安っぽく見えたりしますが、それはそれで味があって良いものです。

ちょっとアレンジなんかした、昭和花柄の復活があれば面白いなと思っている次第です。

花柄

いつしか「演歌」が心地よく聞けるようになるようになる。

多分ですが、人は歳を重ねると昔のことが懐かしくなり、当時は何とも思わなかったり、毛嫌いしていたものに魅力を感じ出すのだと思います。

「演歌」が典型的な例だと思います。

子供時分は何が良いのかさっぱり分からず、歌番組で演歌が出てくると邪魔な存在ように思っていたのですが、今では「演歌」って良いものだと感じています。

「心に沁みる」といったような表現が素直に入ります。

そんなことを言われても、何が「心に沁みる」のかはさっぱり分かりまんでしたし、「お決まりで言っているだけでしょ」くらいに考えていたのにです。

この心境の変化にはまったく驚き桃の木山椒の木です。

それ以上に多感な生命力溢れる頃によく聞いた歌なんかは、たまに耳にしたりすると色々甦ってきて、堪らなくいいものです。

熟成されたいぶし銀の響きに酔いしれてしまいます。

HanaAkari

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