春はあけぼのが良い、何となく分かるところですが、清少納言は早起きで健やかな生活を送られていたんだろうなと推測できます。
「曙」=明け方、夜が明ける頃が良いのはイメージできますが、春は眠たくてぼぉ~っとなっていることがよくあります。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【春はあけぼの】誰しもが耳にしたことがある名文|言葉の小槌152
【春はあけぼの】
有名な日本の古典文学で、清少納言の感性が美しく表現されている「枕草子」の冒頭の、四季に対する感覚には共感するところが多くあります。
春はあけぼの。
夏は夜。
秋は夕暮れ。
冬はつとめて。
春はあけぼのが良い、何となく分かるところですが、清少納言は早起きで健やかな生活を送られていたんだろうなと推測できます。
健全な文章だからこそ「枕草子」の綺麗な文章が現代にまで残されているのかもしれません。
「曙」=明け方、夜が明ける頃が良いのはイメージできますが、春は眠たくてぼぉ~っとなっていることがよくあります。
「春眠暁を覚えず」の言葉にもある通り、春は朝寝坊しがちということですので、春のあけぼのの風景を嗜むことは、その眠気に打ち勝った分、ご褒美になることが大きいのかもしれません。
そんな清少納言もまさか「枕草子」が現在の国語や古典の教科書に採用されるだろうとは、想像も付かなかったでしょうね。
清少納言「枕草子」春を現代風にアレンジしてみるとどうなるか?
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少しあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
清少納言:「枕草子」より
原文を現代風にアレンジして遊んでみようと思います。
春の夜明け眠い。
少しづつ白くなっていく、向かいのマンションと空の間が明るくなって、窓に当たった太陽光線がこちらに反射してくるので、目が覚めて来る。
非常にお粗末になってしまいますが、町中に暮らしていると紫がかった雲が細くたなびいている光景は目にするのは難しいと思います。
細くたなびいているとしたら飛行機雲かな。
環境によって感覚が違ってくるのは当然なのですが、それが違いとなって里が知れてしまいます。
それに底の浅さも分かってしまいますね(笑)
「枕草子」は四季の良さを時間帯で表現していますが、別のことで表現してみても、いとおかしではないでしょうか?
例えば、春は花見。夏はビアガーデン。秋はバーべキュー。冬は宴会。
など、何でもできますが、「枕草子」のような情緒と美しさに欠けてしまうのは否めないです。
HanaAkari