「愛が宇宙」「すべてが愛」
「愛」とはもっと無限で永遠で普遍的な、なぜかそこにあるような、いつでもそこにあるような、たとえこちらが拒んでもずっとあるもの、そのようなものなのではないのかな
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【愛】生きていることの証。宇宙も何もかも全ての源⁉|言葉の小槌2
【愛】
響き、漢字の格好の良さ、なんとなく受ける心地良さ、ぬくもり、存在感が圧倒的な言葉ではないかと思います。
私の祖母が二人とも「愛」にちなんだ名前だったので、個人的に思い入れは強いのかもしれません。
もう二人とも亡くなっていますが、父方の祖母がひらがなで「あい」、母方の祖母が「愛子」さんでした。
「あい」さんは穏やかな優しい人で、「愛子」さんは寡黙で、何か忍耐の人といった印象がありました。
その「愛子」さんの子である私の母は、私にとっては本当に「愛の人」でした。
思い出すことはたくさんありますが、なぜか些細でなんでもないようなことを鮮明に憶えていたりします。
私が小さなころ、満員電車の中で周囲の大人の乗客に埋もれ押されて翻弄されていた時、母は小さな体で私をかばうようにして扉に手をつき、囲う様にして必死に押し寄せる人波から守ってくれていたことがありました。
愛と思います。
しかし今は、「愛」とはもっと無限で永遠で普遍的な、なぜかそこにあるような、いつでもそこにあるような、たとえこちらが拒んでもずっとあるもの、そのようなものなのではないのかなと思ったりもします。
多分、言葉では完全に表現できないものだと思います。
きっと私が精神的に落ち込んで心を閉ざしていた時も、無気力で喜びを感じることが出来なかった時も、反抗期で近くに母の愛があっても感謝できず、鬱陶しく感じたり、親不孝であったり、父の愛の鞭にも徹底的に抗ったりしていた時にも、愛はずっとあったのだと思います。
愛があるから生きているのだと感じています。
「宇宙の愛」という表現がありますが、私は「愛が宇宙」「すべてが愛」という方がより近いのかなと思ったりします。
「すべてが愛」ということは私も愛ということになるのかなぁ、そう考えるとかなり恥ずかしいのですが。
HanaAkari