色々なことに対して「自分の価値観のものさし」で測らなくなったら楽になりましたし、身軽になったように思います。
変化が起こるのは、嫌な経験がきっかけになるのことが多いように思いますが、後にならないと「あの経験があったおかげ」とは思えないのでたまったものではありません。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【ものさし】価値観の測り方に杓子定規は疲れました|言葉の小槌44
【ものさし】
生きることは、「ものさし」で測ったようにはいかないものですが、真面目に四角四面に測っていればいる程、誤差が大きくなった時には精神的なショックは大きくなってしまうように思います。
私は「杓子定規」でものごとを考える傾向が強かったものですから、自分の思い通りにいかなくなると、ひどくイライラしましたし、大きな精神的に辛いことがあった場合はなかなか立ち直れませんでした。
自分の価値観では対処しきれなくなってフリーズのような状態だと思うのですが、当然私は機械ではありませんので、ただフリーズしているだけなら苦しくはないのですが、内側で様々な感情が渦巻いてそれが堂々巡りしますから、闇としか言いようがなかったですね。
中学の時にあるきつい出来事があった時には、しばらく学校にも行く気になれず、その時たまたま持っていた「グーニーズ」のビデオを何回見たか分からないくらい、繰り返し繰り返し見て過ごした時期がありました。
ただ気を紛らわしたかっただけだと思います。
「グーニーズ」は面白い映画だと思いますが、あれだけ見たのにあまり内容を憶えていないのが証拠で、上の空だったのでしょう。
その後も完全に復調せず、何年にも渡って大きな闇を抱えていたと思います。
今は自分の「ものさし」で自分以外のことを測ることを止めました。
もしかしたら「対自分用のものさし」も必要がないのかもしれませんが、今は自分を内観するために使っています。
色々なことに対して「自分の価値観のものさし」で測らなくなったら楽になりましたし、身軽になったように思います。
このような心境になったのには、嫌な経験と時間が掛かっていますが、私の場合はそれがなければこうにはならなかったかもしれません。
変化が起こるのは、嫌な経験がきっかけになるのことが多いように思いますが、後にならないと「あの経験があったおかげ」とは思えないのでたまったものではありません。
しかも、私が考え方を変えるまで何度も何度も嫌なことが起こるので、全く逆の結論に到達してしまう可能性だってあったかもしれないと思います。
自分の「ものさし」の徹底的な「ゴリ押し」ですね。
私は幸いなことに軟弱でしたので、「ゴリ押し」を続けることに疲れて諦めたんだと思います。
海外に出て「私流の日本の常識」でいたら、盗難や騙しなど私がもっとも嫌いな出来事に頻繁に遭い、怒りまくっていましたし、一度は現地の警察に怒鳴り込んで行って「お前の国はどうなってんだ!」なんて出来ない英語で喚き散らしたこともありました。
「ゴリ押し」時期です。
しばらくの期間「私のものさしのゴリ押し」で頑張っていましたが、ある時「盗難や騙しに遭うのは自分が不用心だからだ、相手に窃盗や騙しを簡単にさせている私にも責任がある」と思えたんです。
盗んだ者や騙した者が一方的に悪いと思っていた私に変化が訪れた瞬間でした。
まあ、それまでにどれだけ嫌な目に遭ったか分かりませんが、最後は私が根負けしたことが良かったのだと今では思えます。
不思議とそう思えるようになると、盗難や騙しのようなことに出会わなくなり、どんどん旅が楽しくなっていきました。
ついでに「潔癖症」も軽減されました。
ちょっと出歩いたら、排気ガスと砂埃で鼻の穴の中も真っ黒になるような所も多かったので、潔癖だとか言ってる場合ではなかったのです。
唯一の対処は、毎日まめに洗濯することでした。
HanaAkari