私に馴染みのあるアジアの国々の「川の女神」について想像を膨らませてみました。
私はもしかしたら「瀬織津姫」は元々は「ガンガー」なのではないかと、推測しています。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【川の女神】大自然の無償の愛、母なる水の女神たち|言葉の小槌73
【川の女神】
「川の神様」でパッとイメージするのは「女神」です。
「男神」もいるようですが、なんとなく「女神」の方がしっくりくるように思います。
「水」のイメージと繋がるからかもしれません。
昔話に、木こりが池に斧を落とした際に、「女神」が出てきて「あなたが落とした斧は金の斧ですか?銀の斧ですか?」といったやり取りの末、どちらも違うことを正直に伝えると、その正直さを称えられ金と銀の斧もプレゼントされるといったお話がありますが、勝手なイメージですが「女神」が出てきてくれた方がなんか自然な感じがします。
私に馴染みのあるアジアの国々の「川の女神」について想像を膨らませてみました。
アジアの国々の「川の女神」
私が旅行先で行った際に知ったり、身の回りのことで知ることになった「川の女神」様。
瀬織津姫(せおりつひめ) 【日本】
「瀬織津姫」は最近では人気の謎多き「女神」ですが、「古事記」や「日本書紀」には一切出てこないのですが、罪穢れを祓い清める為の祝詞(神道の祭祀の際に唱える)「大祓詞(おおはらえのことば)」の中にだけ名前が出てきます。
「大祓詞」の流れでよく似た内容で同じく「禊」の祝詞として、短く要約されている「天津祝詞(あまつのりと)」の方が知名度はあるのかもしれませんが、こちらでは「祓戸の大神たち」と他の神様と一括りに表現されているので、「瀬織津姫」という名前は出てきません。
「罪穢れ」を大海原に持ち出してくれる「川の女神・瀬織津姫」が隠された女神だといわれ、神秘のベールに包まれているのも頷けます。
アプサラー(Apsara) 【カンボジア】
有名な世界遺産「アンコール・ワット」観光の際にガイドの説明に出てきましたので、「カンボジア」の女神だと思っていましたが、元々はインド発祥のヒンドゥー教の「水の精霊」で絶世の美女の踊り子だそうです。
「カンボジア」ではゲストハウスの名前にもあったりしたので、人気がある存在なのかもしれません。
「アンコール・ワット」は仏教遺跡とされていますが、最初は「ヒンドゥー教」の流れを汲んでいて次第に「仏教」と融合していったようなので、「アプサラー」がヒンドゥー教の「水の精霊」なのも納得です。
「インド」の文化が「カンボジア」やもっと先の「インドネシア」にまで広がっていることや、「日本」にも影響していることを考えたら、古代の人々の動きや文化の流れなど、面白いなあと思います。
プラ・メー・コンカー(Phra mee kong khaa) 【タイ】
旧暦の12月に行われるタイの灯籠流し「ロイ・クラトン」祭りでは「川の女神コンカー」に感謝の気持ちを捧げ、身を清める風習があります。
こちらも「川の女神コンカー」は、ヒンドゥー教の「川の女神ガンガー(ガンジス河)」が少し表現が変わってタイの文化の中で融合されたもののようです。
よく考えたら川で身を清める意味合いや、「ロイ・クラトン」の際に川に流す小さな灯籠(クラトン)もインドの人々が日々、神様にお祈り(Puja)をする際に使用する「Diya」という小さなランプに似ていますので、仏教国のタイにもヒンドゥー教の文化が残っているんですね。
インドネシアの「バリ島」は「バリ・ヒンドゥーの島」ですが、日々のお祈りに使用していたランプは「タイ」の灯籠流しに使われていたものとよく似ていたと思います。
仏教もヒンドゥー教から派生したようなものですので、インド文化の歴史は底知れない感じがします。
ガンガー(Ganga) 【インド】
ヒマラヤから流れ出る大河「ガンジス河」は、ヒンドゥー教を信じるインドの人々には至高の聖なる流れです。
「ガンジス河」=「ガンガー」
「女神ガンガー」は「母なるガンガー」と呼ばれ、ヒンドゥー教徒に敬愛されて止まない「川の女神」です。
「ガンガー」の水で沐浴すれば、全ての罪穢れは清められるといわれ、連日「ガンジス河」にある「ガート(ghats)]と呼ばれる沐浴場には大勢のヒンドゥー教徒が、沐浴に訪れます。
私はインド旅行中に「バラナシ」の「ガート」で「歯磨き」をしている人も見ました(笑)
「女神ガンガー」が、大勢の人々の「祈り」を受け止め、無限の慈悲で清め、洗い流していることを想うと、大自然の無償の「愛」を敬うのは当然のことかもしれません。
もしかしたらと思ったこと
「瀬織津姫」は隠された女神と言われていますが、一説には「外国の神様」だったから隠されたとされています。
私はもしかしたら「瀬織津姫」は元々は「ガンガー」なのではないかと、推測しています。
あくまでも空想ですが、「タイ」の「コンカー」がそうであるように、大昔の文化の流れに乗って「ガンガー」は日本にもやってきたのかもしれないと考えると、どんどんそのように思えてしまいます。
「コンカー」に感謝の気持ちを捧げるタイの祭り「ロイ・クラトン」の「灯籠流し」の文化は、日本ではお盆の時期に先祖を敬う行為として行われますが、形は変わっても「灯籠流し」の文化は繋がっているように思います。
四国の香川県にある「金毘羅さん」に行った時にガイドさんが、「金毘羅課(こんぴら)」は元々は「クンビーラ」という「鰐」を神格化した神様だと説明されていました。
「クンビーラ」は「女神ガンガー」の乗り物です。
乗り物の「クンビーラ」が日本に残っているのなら、主人である「ガンガー」が残っていて当然だと思うのですが…
身を清める行為であるインドの「沐浴」と日本の神道の「禊」もほとんど同じ発想だと思います。
「シヴァ」=「大黒天」、「ラクシュミ」=「吉祥天」、「サラスバティ」=「弁財天」など、他の「ヒンドゥー教」の神様は名前は変われど、日本で神様として崇められていますが「ガンガー」は聞いたことがありません。
「乗り物」だけが一人歩きしてやってきたのかな?
「歴史」とは時の「権力者」によって「改ざんされた歴史」だということは今や周知の事実ですから、当時「ガンガー」を表立って神様とするのは都合が悪かったのかも?なんて勘ぐってしまいます。
もしかして「瀬織津姫」が「力」のある神様だとされるのは、もし「瀬織津姫」が「ガンガー」だとすると、人々の「祈り」の力を大きく受け止めているからかもしれません。
あくまでも個人的見解ですので、悪しからずご了承下さい。
HanaAkari