「最強の招き猫はハチワレの招き猫?」
「福」に関するような想像はやったもの勝ち、信じたもの勝ちなのではないかと思っています。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【ハチワレ】幸運な猫と座敷童とのコラボで∞の福は内|言葉の小槌8
【ハチワレ】
顔の斑模様が漢字の「八」の文字になっている猫のことを「ハチワレ」と呼ぶそうです。
鼻を境に模様が「八」の字のように左右に分かれていて、「八」の漢数字が「末広がり」で縁起が良いといわれることから、縁起が良い「福猫」とのことです。

では商売繁盛の福を招く「招き猫」が「ハチワレ」模様になっていれば、最強の「超招き猫」ということになるのではないでしょうか?
小判ざっくざくの、子々孫々繁栄、末代までもどんどん幸運になっていく様を想像できて愉快です。
私はさらに「座敷童」と「超招き猫」とがタッグを組めば、幸運が良い方向に相乗効果が相乗効果を呼んで、幸運の嵐が巻き起こり、幸運の無双状態になるのではないだろうか?と思い、夢を広げています。
想像するのは自由ですので、あしからず。
「八」という数字は広がっていく意味合いがあるようですし、数字の「8」を横にしたら「∞」「無限大」になるということで、「八」には期待ですね。
そのような夢物語にうつつを抜かしていないで、現実的に考えなさいとお叱りを受けるかもしれませんが、私個人はこのような「福」に関するような想像はやったもの勝ち、信じたもの勝ちなのではないかと思っています。
このように自由に好き勝手に妄想できることは幸せです。
後ろ向きでいると他人に対しても、自分に対しても「福」を与えることはできないでしょうから、まずは気持ちを上げるきっかけにでもなれば、「はじめの一歩」となって悪いことはないのではないでしょうか。
私が日々の生活に精一杯で余裕がなかった時は、目の前のことをこなすのに満身創痍で、夢物語を想像することなど夢物語でした。
肉体的にも精神的にも過剰に負荷がかかり続けることは考えものです。
私はしばらく前までは「生ける屍」として「出口のない迷路」をさすらっている毎日で、いわゆる生活のため、ご飯を食べていくために必要なことですし、大切だから何も悪いことではないはずなのですが、それが過度になり過ぎるているのは分かっていても変えられず崩壊寸前でした。
幸か不幸か新型コロナウィルスのパンデミックの影響で、必死に堪えてきた「出口のない迷路」が強制的に破壊され、生きるために「生ける屍」は本当に屍にならぬよう、人間らしく生存しようと少し覚醒したみたいです。
自由に持て余す時間があって、このようなブログを書いているわけではないのですが、今は僅かでもこのような時間を持てることが私にとっては本当に幸運です。
もしかしたら「とっぺちゃん」の話を聞けたおかげかもしれません。
「八」のように末広がっていきたいと思います。
そういえば、日本人の心の風景である「富士山」の姿は「八」でした。
「福」の三重奏もありですね。
HanaAkari