私は「インドラ」と聞くと固有名詞を思い出します。
ネパール人の「インドラ・グルン」さんです。
私が、インドラさんを初めて知ったのはバックパッカーとしてネパールを旅行していた時でした。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【インドラ】ネパール出身グルン族のバンスリー奏者|言葉の小槌98
【インドラ】
インドラはインドの神様です。
雷を司る軍神で、武勇の神になります。
雷神、天帝などとも呼ばれ、天上の神ですが、日本では仏教を通して「帝釈天」の名で知られます。
一般的には雷神で有名なのですが、私は「インドラ」と聞くと固有名詞を思い出します。
ネパール人の「インドラ・グルン」さんです。
インドラさんはネパールの、グルン族出身のバンスリー奏者です。
バンスリーとは、竹で作った横笛で、インド、ネパールの民俗楽器の一つです。
竹の横笛ですので、日本人にも馴染みのある音色で、心地良さと懐かしさが込み上げてくるような楽器だと思います。
インドラ・グルンさんと最初の出会い。
私が、インドラさんを初めて知ったのはバックパッカーとしてネパールを旅行していた時でした。
ポカラという山岳部にある田舎町でのんびりと過ごしている時でした。
ポカラはヒマラヤ山脈にある山、アンナプルナへの登山のアプローチに最適の、のんびりとした町でした。
私はそのアンナプルナが見える居心地の良いカフェレストランに、毎日通っていました。
食事をする時もありましたし、お茶を飲みながらのんびりと時間を過ごすだけの時もありましたが、そのお店でBGMとして流れていた音楽がとても心地よく、何種類かありましたが、どれもネパールの民俗音楽のようでした。
アンナプルナを眺めながらぼんやりと聞く、ネパール音楽が心地よく、とてもその音楽が気に入りました。
私はミーハーですので、このジャンルの音楽が好きだといったものはあまりなく、気に入った音楽にしばらくハマるところがあり、その時聞いていた音楽で、特に好きだった2枚のCDのタイトルを教えてもらい、カトマンドゥで購入したのです。
その一つがインドラ・グルンさんの「AAMA」というアルバムでした。
「AAMA(アマ)」は母という意味です。
数年後に日本で実際にインドラさんに会うことになりました。
数年間バックパッカーとして好き放題、楽しませてもらったツケが回ったのでしょうか?日本に帰国した数年後に母にガンが発覚しました。
ステージ4の末期の肺ガンでした。
リンパ節にも近いので、外科手術で切除することが出来ず、ガンのタイプが小細胞ガンということで、医者からは抗癌剤治療をしても延命になるだけで、絶対に治らないと言われました。
治療をしなければ余命4カ月ということでした。
当時の私は感情のコントロールが苦手で、すぐに頭に血が上りましたので、「絶対に治らない」と言った医者に対して納得が出来ず、「世の中に絶対ということは無い」「現に末期のガンだって治っている人はいるし、あなたの知っている医療では、治らないと言うのが正しい言い方だろう」と盾突いたのです。
現実を突きつけられて、心の持って行き所が分からなかったので、八つ当たりのようなものでした。
そんな経緯もあり、抗癌剤治療以外に何かガンを直す方法は無いものかと、私は必死で探しました。
民間療法から、健康食品、食事療法、様々探してきては母に押し付けました。
今だから押し付けたと思えますが、当時はただ必死だったのです。
その甲斐あってか一時的にガンは落ち着き、もしかしたら少しづつ治っていくのではないかと思えるようになり、諦めていた母も希望を持ち始るまでになったのですが、運命は無情だということ思い知ります。
突然脳に転移が起こりました。
そのタイミングで私は、気孔の一種のスピリチュアルヒーリングに出会い、俄かには信じがたいことでしたが、少しでも母の為になればいいと思い、藁をもつかむ思いでやってみることにしました。
目に見えないものを信じるようなタイプではなかったので、自分自身が不思議でしたが、あの時は何かのスイッチが入ったとしか思えません。
母は残念ながら亡くなりましたが、そこでは様々のことを勉強させてもらえたと思っています。
しばらくその会と交流する期間があった時のことです。
その会を通してインドラ・グルンさんと日本で会うことになったのです。
いきさつは詳しく分かりませんが、インドラさんのコンサートをその会が主催することになり、私は個人的にはこんな不思議なことがあるんだという思いと、インドラさんのバンスリーの音色が好きだったので何度もコンサートに行きました。
不思議です。
HanaAkari