言葉の小槌80 word is magic 【時の車輪】

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言葉の小槌② 言葉の小槌 〈51~100〉
言葉の小槌 51~100
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「時の車輪」が「運命の輪」を回しているかのようです。

精神性は偉大な王に頼るのではなく、それぞれ個人が自分という国を「法輪」で治める必要があるようですし、逆に現実的なことは大切ですが、精神性を極端に排除したようなやり方は、「人を人として見ていない」ことになりますので、結局は崩壊しています。

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【時の車輪】インドの車輪と仏教の法輪と宇宙の夢|言葉の小槌80

【時の車輪】

インドの太陽神「スーリヤ」の乗る七頭の馬に引かれた黄金の馬車の車輪は「時の車輪」と呼ばれ、時を刻む太陽の運行を表しているといわれています。

朝日が天高く上り、次第に下り、落日を迎える一日のサイクルが、毎日、休むことなく訪れることへの畏敬の思いが込められているようにも思えます。

車輪のスポークは24本あり、一日の24時間が表現されています。

インドでは「車輪」は重要な意味合いがあるようで「チャクラ」「法輪」も意味するようです。

インドの国旗のデザインにも使われいます。

インド国旗
インド国旗

インド国旗のデザインについて

現代のインドの国旗は、インドがイギリスの植民地から独立する直前に(1947年)、インド初代首相「ジャワハルラール・ネルー」の発案で、世界の平和と自由を目指す新しいインドのシンボルとして、中央に「法輪」を描いた新しい国旗の採用が可決されました。

「法輪」はお釈迦様の教えを意味します。

お釈迦様が生まれた国らしいデザインですが、現在はインドに仏教徒はほとんどおらず、ヒンドゥー教徒が大半を占めているのが不思議な気もしますが、私は流石はカオスの中に真理が芽吹く国で、とてもインドらしいなと思います。

国旗中央のマークは、それ以前はインド独立の父「ガンディー」の考案した「糸車」のデザインが使われていましたが、たとえインド独立の立役者「ガンディー」であっても時代の流れの中では、新しいデザインへの変更を受け入れざるを得なかったようです。

「糸車」は自国の産業を育成しようとした「ガンディー」の行った独立運動を象徴的するアイテムですので、相当思い入れがあったでしょうから「ガンディー」も残念だったかもしれませんが、「法輪」はより大きな意味での平和を象徴しているように思います。

しかし国旗のベースになっている「三色の色」には「ガンディー」の考案した思いがそのまま残されています。

サフラン色が「ヒンドゥー教」、白色が「和解とその他の宗教(シーク教、仏教、ジャイナ教、キリスト教)」、緑が「イスラム教」を表していて、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で深刻になっていた宗教問題の克服の願いが込められていたようです。

残念ながら、「ガンディー」が理想としていた形ではインドの独立にはなりませんでした。

イスラム教徒が多く住む地域は「パキスタン」としてインドとは分離する形で独立をし、そこから東パキスタンが「バングラデシュ」として独立して、現在に至っています。

中央にある青色の「法輪」に込められた思いで、宗教の垣根を越えてよりよい未来の方向に向かって欲しいと思います。

「時の車輪」が時間という魔法で、深く根を張り、絡まり合っている感情の糸を、解きほぐしてくれますようにと願います。

法輪

法輪「アショーカ・チャクラ」について

「アショーカ」とはインド全土を始めて統一した「アショーカ王」のことです。

武力で力でインドの統一を成し遂げましたが、その戦に明け暮れる中で、多くの死と直面したことで、人生観に大きな変化が起こり「仏教」に帰依し、「法(ダルマ)」による統治を行うのですが、その象徴としてのシンボルがインドの国旗の中央にあります「アショーカ・チャクラ」です。

「法(ダルマ)」とは「仏法=お釈迦様の教え」も含めた「永遠の真理」のようなものだと思います。

「アショーカ王」は「真理」に基づいた「法」によって国を統治しようとしたようです。

またその「法」を刻んだ石柱を各地に残しました。

現在でもインド、ネパール、パキスタン、アフガニスタンに残っています。

その碑文には「他の宗教を非難することを戒める」文も刻まれているようです。

インドの国章にもなっている四頭の獅子が背中合わせになっている「アショーカの獅子柱頭」の台座にも「法輪」が組み込まれています。

こちらも「仏教」を象徴しているといわれます。

四頭獅子柱頭
四頭獅子柱頭

「時の車輪」の不思議

インドでは「宇宙の真理」のようなものは「車輪」に基づいて表現されているようですが、私は「輪」であることが重要なイメージなのかなと思います。

一周すると繋がるところや、回ることが「宇宙」の仕組みなのではないかと思えます。

地球の「自転」や天体の「公転」など宇宙は常に回っています。

「因果応報」「輪廻転生」からも「輪」のイメージがしますし、巡り廻ることで「永遠」に繋がりそうです。

その「輪」が綺麗な円形であれば、ぶれずに回って心地良いのでしょうが、歪な円形だと、ガタゴトと反動が大きくなりますので、「真円」に近い生き方が出来れば「輪」は安定して廻るのではないかなと想像の輪が膨らみました。

たとえどんなに歪な円形でも、「無限のサイクルの輪」の中では必ず廻るのでしょうが、同じ回るでのならスムーズに回る方が心地良いと思います。

「想像の輪」が広がります。

地球

「時の車輪」のシンクロニシティ

私は「アショーカ王」の経歴を見ていると、よく似た人物を思い出しました。

中国全土を初めて統一した「秦の始皇帝」です。

「秦の始皇帝」も強力な武力で中国全土の統一を果たすことと、「法」でもって国を治めようとした人物で二人はよく似ています。

「アショーカ王」「法」「法輪」を基礎としていたようですので、精神性の部分が大きいようですが、「秦の始皇帝」「法」は刑罰も含めてた「法律」のようで現代の「法律」に近い要素が感じられますが、どちらも「法」で国を統治しようと試みた「王」だったようです。

面白いことに二人の生きた時代がほぼ同じなのも不思議です。

「アショーカ王」は紀元前304年~紀元前232年に生きた人物だと記録が残っています。

「秦の始皇帝」は紀元前259年から~紀元前210年ですので、同時期に地球上に存在していたことになります。

アショーカ王紀元前304年~紀元前232年

秦の始皇帝 :紀元前259年~紀元前210年

同じ時代にインド全土を始めて統一した「アショーカ王」と、中国全土を始めて統一した「秦の始皇帝」がいて、共に「法」による統治を行ったというシンクロニシティは非常に興味深いです。

さらに「アショーカ王」が国の運営の礎とした「法輪」「釈迦」の教えですが、仏教「釈迦」儒教「孔子」も同じ時期の「先生」のようなのです。

「孔子」紀元前552年または紀元前551年~紀元前479年に生きた人との記録があります。

「釈迦」には正確な記録がなく諸説あるようですが、紀元前7世紀、紀元前6世紀、紀元前5世紀頃といわれていますので、紀元前5世紀説だとすれば、「釈迦」「孔子」も同時期の人物だといえそうです。

この二人が生きていた時代は小さな国々が乱立して、覇を争っていた時代です。

同じ時期に偉大な覚者が出た「インド」「中国」という国と、それから後、同じ時期に広大な国土を統一する二人の王と、何か「運命」のような「人知を超えた」ものを感じます。

「時の車輪」が「運命の輪」を回しているかのようです。

地図

「時の車輪」は両輪揃ってこそ、真に回り出す?

「アショーカ王」「秦の始皇帝」のシンクロニシティは残念ながら、最後の一歩のところで両極端の違いがありました。

「アショーカ王」「釈迦」の教え「法輪」精神性を重視した国政を行ったのに対し、「秦の始皇帝」は同じ「法」でも現実性を重視した国政で「孔子」の教えを受け継いでいる「儒教」を徹底的に弾圧したことです。

「秦の始皇帝」にとって現実主義「法」を徹底させるには精神性は邪魔だったということでしょう。

一方、精神性を重視した「アショーカ王」の方針は素晴らしいもののように映りますが、こちらも「アショーカ王」の死後、次第に崩壊しています。

精神性は偉大な王に頼るのではなく、それぞれ個人が自分という国を「法輪」で治める必要があるようですし、逆に現実的なことは大切ですが、精神性を極端に排除したようなやり方は、「人を人として見ていない」ことになりますので、結局は崩壊しています。

歴史を見れば明らかで、どれだけ弾圧して排除しようとしても、人々の心に響いているものはずっと残っています。

基本的に人の中には「法輪」があるのだと思います。

ただ車輪は一つでは機能しませんので、両輪揃って配置しないといけないのでしょう。

たぶん「精神性の車輪」「現実性の車輪」がバランスを取って回り出すと「時の車輪」に組み込まれた「マジック」が動き出すのではないでしょうか?

「時の車輪」はいつその時を迎えるのかなと黙って待ちつつも、「時の車輪」らしく粛々と時を巡らせているのが感慨深いです。

「時の車輪」が両輪揃ってバランスよく回り出す鍵は、きっと人間にあるんだろうと思います。

HanaAkari

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