「グリーン・マイル」 スティーブン・キング著 を読んで

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グリーン ・マイル (読書感想文) 〈スティーブン・キング〉作品を読んで
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「グリーン・マイル」上巻(小学館文庫) 死へ向かう緑色の道?神の審判?神の癒し?そして人は?そんな複雑な感情が入り乱れました。

昔、感動したものを時間がある時に、再インストールしてみようという試みとして「グリーン・マイル」を読んでみることにしました。

実は小説を読むのは初めてでしたが、映画を見た時の記憶が少し不思議な感覚だったので、その正体を確かめてみたかったのです。

物語の内容が一種独特な世界観だったことと、単純に感動したとか涙したとかではない、何か胸がモヤモヤとした感覚があったけれど、良い映画だったという淡い記憶がありました。

刑務所

改めて原本である小説を読んでみると、下品で明け透けな表現の中に深い洞察がある、スティーブン・キング節が炸裂していて、やはり面白いのです。

舞台になっているのが刑務所で、殺人、死刑囚、電気椅子など、人間の嫌な部分が露骨ですから、逆にその裏側にある純粋で善良な心が浮き彫りになってくる感じがありました。

職務とはゆえ、電気椅子にて死刑執行を行う刑務官の気持ちが切なく表現されていました。

死刑執行を終えた時の心の声でした。

「こうしてわたしたちは、人間には逆立ちしても創れないもの……生命を破壊することに成功したのだ…」

「わたしたちはなんという世界に住んでいることか……ああ、なんという世界に!」

「グリーン・マイル」下巻(小学館文庫) 救済と呪いの間という読後感

作家スティーブン・キング氏の文章表現、情景の描写は、よくこんな風に表現できるものだと脱帽します。

些細な一節にユーモアを感じることが多く変幻自在な変化球もあれば、時に羞恥心のかけらもない大っぴらでストレートな表現をぶち込んでくるものですから、思わず目をむいてしまいます。

どのように取り繕ってもお上品とは言えないでしょうが、だからこそすんなりと入ってきて、しっくりくることもあるのだと思います。

物語は特殊な能力での奇跡的なヒーリングがポイントになっているのですが、それはただ単に神の救済ということではなく、スティーブン・キング氏は、救済と呪いの間には本質的な違いがないと表現しているのもギョッとしました。

電気椅子

私は「グリーン・マイル」上巻を読んだ後に、映画版の「グリーン・マイル」を見てから、下巻を読んだのですが、映画の方は重要人物の黒人ジョン・コーフィの心を映し出すようにして表現していたのが目立ちましたが、小説はそれぞれの登場人物の心模様が交錯するようにして詳細に書かれているので、少し違った感じ方になりました。

善良な心や愛を利用してとんでもない悪事が世界中で行われていることに傷つき、疲れ果てたジョン・コーフィには電気椅子であの世に旅立てるのは幸いなことであり、心ある周囲の人々の胸には深い悲しみが刻まれました。

小説ではその悲しみにまつわる登場人物の想いが、とても真っ直ぐに述べられているのが、印象に残ります。

私はムーアズを憎んだ。ちっぽけな憎しみだったし、すぐに抑え込める憎しみだったが、憎しみには違いなかった。正真正銘の。
人はもう行ってしまいたいと思っていても、同時にその旅立ちを心の底から恐れもするという事実を、何の苦もなくやすやすと理解していた。
ウォートンはデタリック家の双子のおたがいへの愛をつかって、二人を殺したのだという言葉、そういったことは毎日世界中で起こっている、という言葉を。そのとおりのことが起こっているのであれば、それをひき起こしているのは神にほかならない。そしてわたしたち人間が、「わたしには理解できません」といったところで、神はこう答えるだけだ……「知ったことか」

映画版「グリーン・マイル」を見て…「トムブラウンのみちお」さんに…

読書を機に、しまい込んであった古い「グリーン・マイル」のDVDをほじくり出してきて鑑賞しました。

久しぶりに見てみてまず驚いたのは、映し出される映像の風景の美しさです。

古き良き時代のアメリカの風景なのでしょう。

時代設定が1930年代のアメリカですから、映画の中の建造物や家具、何もかもがヴィンテージで、非常に味があってそれらを見ているだけで楽しかったです。

ファーム

若かりし頃の「トム・ハンクス」の演技の上手さも流石でした。

「グリーン・マイル」の最重要人物である黒人死刑囚の「ジョン・コーフィ」の顔が、お笑いコンビ「トム・ブラウンのみちお」さんにそっくりだったのが、ちょっとした発見でした。

とても重要な役柄なのに、見ている途中でどうしても「みちお」さんのイメージが重なってきてしまい、よろしくないので何度も追い出そうと努力しました。

一度、思い込んでしまうとそのようにしか見えなくなってしまうことは結構あると思うのですが、そうなってしまうとなかなか追い出すことが難しく、どんどん可笑しくなってしまうものです。

ただ後半に向かい、「ジョン・コーフィ」の少ない言葉の一つ一つに重みが増してくると、自然と「みちお」さんの姿は無くなっていましたが…

「生まれてきたことを謝る」どんな状況であれ、これ程悲しい言葉はあるでしょうか?

様々なことを考えさせられる紛れもない名作だと思います。

HanaAkari

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