「人間の価値」 李登輝の言葉 を読んで

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人間の価値 〈読書感想文〉 〈李登輝〉作品を読んで
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アウフヘーベンした台湾の武士のようです。・・・武士道とキリスト教の融合

〈李登輝〉氏の言葉に触れるたびに思う事は、この方は台湾を民主化に導くために多大に尽力された以上に、常に自分自身と向き合い、葛藤があっても挫けることなく目指す先に向かって、忍耐力をもって現実的に一歩一歩と歩み続ける努力を諦めなかったんだろうということです。

凄い方です。

太平洋戦争が終戦になるまで、日本人として教育を受けたことが自分自身の軸にあると、はっきりと明言されているのが日本人としては嬉しく思います。

しかし、現代の教育が戦前の教育とは、まるで違ってしまっていることは憂慮することで、しっかりと日本人自ら考えてみることが課題だと、ズバリご指摘がありました。

日本人は持って生まれた良い気質をもっと生かすべきだと。

台北

〈李登輝〉氏の精神的な軸は「武士道」と「キリスト教」にあったようです。

若い頃から多くの哲学書などを読み漁って、永遠の課題ともいえる「人間とは?」について貪欲に考えたそうです。

ですから私のように政治や権力に縁遠い者でも、〈李登輝〉氏の言葉は心に突き刺さるものが多いのかもしれません。

言葉のプロにしか分からないような「アウフヘーベン」という言葉がよく出てきましたが、日本語訳の「止揚(しよう)」と聞いてもさっぱりなのですが、要は「政治も人生も矛盾することばかり、その矛盾と向き合い、より良いものに発展させること」といった感じなのだと思います。

実際に全ての事柄はそうした努力の繰り返しのように思うのですが、理想に果てしなく届くことが出来なければ諦めたくなりますし、かといって理想を無くして無気力に生きるのも居心地が悪い、しかし今のままでも納得がいかない、悩みは尽きないので心が折れてしまうことが多いのですが…

〈李登輝〉氏が言うにはそれを救ってくれたのが「信仰」であったと…

「信仰」に支えられた「理想」があって、そこに到達するためには目の前の課題を越えて行かなけばいけないから、その「判断」に「武士道」の精神が力になってくれた、そんな印象です。

なんか〈李登輝〉氏は、自分自身を「アウフヘーベン」し続けたのではないかと思いました。

最後に素晴らしい言葉の数々の中で、私が〈李登輝〉氏に対する好感が増した一文を紹介させて下さい。

私の人生で最もつらかったのは、自分の死の恐怖に直面したことではなく、妻が私の政治活動のために危険にさらされることだった。

私が自分の政治信念のために耐え忍ぶのは当然だが、私の信念のために妻が中傷や脅迫にさらされるのは我慢がならなかった。

………私が政治家の道を選択したことを、心からすまないと思った。

聖書

私が〈李登輝〉氏のことに対して、興味を持ったきっかけについて。

正直に言って〈李登輝〉氏に関心を持ったのは、四十半ばの頃に台湾に初めて小旅行に行くことがあった時でした。

旅行のガイドブック「地球の歩き方 台湾」で〈李登輝〉氏のことを知りました。

台北市にある〈二二八和平公園〉を散歩していたら、日向ぼっこをされていた老人から日本語で声を掛けられ、少し雑談をした時にも〈李登輝〉氏の名前が出てきたりもしました。

台湾の高齢者が日本語を話せる経緯には、日本の戦争の歴史は避けては通れないことですし、私は長い間、戦争と植民地支配の過去は、日本が全面的に悪かったという風に思っていたので、後ろめたい気持ちもあってあえて触れようとは思わなかったのです。

ただそう思う反面、実際に現地の人と接触があった時に感じる感触との差に違和感はありました。

随分前にバックパッカーとしてアジアの国々を旅していた時にも、タイの首長族の村で出会った台湾の方が、フレンドリーに流暢な日本語で話しかけてきてくれたこともありました。

極めつけは太平洋戦争の時、〈李登輝〉氏のように日本人の兵隊として日本で過ごしたという韓国人の老人と知り合ったことです。

始めて会ったのはインドでのことでしたが、後に韓国に遊びに行った際に、数人の韓国人の友人らと共に自宅に泊めて頂いたこともあります。

その方は、日本人の私でも読むのに苦労するような、難しい漢字の多い日本の文豪の小説を普通に読んでいましたし、日本語の発音に訛りがなく、まるで日本人のようでした。

初めは当時の日本統治下で無理やり教育させられたのだろうと思い、あまり触れたくない部分だと間違った判断をしたのですが、交流が深まってきた時に、気になっていたことを単刀直入に尋ねてみたことがあります。

「日本を怨んでいないのですか?」と聞きました。

その方は多くは話しませんでしたが、微笑みながら「いいえ」と返答されたことが、ずっと気になっていました。

私の頭の中にある日本の戦争に対する感覚と、あまりに違う感触があったからです。

しかし、器の大きい方でしたから特別なんだろうと思い、深く追及せずでした。

それが、台湾を民主化に導いた〈李登輝〉氏も同じような境遇だったと知った時に強く思い出され、〈李登輝〉氏に興味を持つ大きなきっかけになったのでした。

HanaAkari

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