「浅草キッド」 ビートたけし著 を読んで

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浅草キッド〈読書感想文〉 〈日本人〉作品を読んで
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「昭和の人情…垢にまみれた愛」下品の中にも愛、感謝は存在します。

私のような昭和世代に子供時代を過ごした者にとってビートたけし氏は、お笑い界の巨匠という印象がこびり付いています。

芸術家としてご活躍されてはいても、子供の頃にテレビで強烈に焼き付けられたインパクトがどうしても優ってしまいます。

「浅草キッド」はそんなビートたけし氏のお笑いの出発点を題材にした自伝的な小説でした。

芸の世界の話ですから、少し一般的ではないのは理解できますが、それを除いてもあの頃の世相がよく表れていて私には懐かしくて、非常にノスタルジックな気持ちになりました。

フーテンが許される空気があって、ずる賢くて汚いものにも蓋はあっても、隙間だらけで丸見えなのに、本当にえげつない悪意がないので、許せてしまうそんな時代だったような気がします。

幼心に印象に残っている光景が甦ってきて、あの頃の人情が心に滲みてきました。

浅草

私はどちらかというと汚いものや下品なものは苦手な性質ですが、「浅草キッド」の頃のようにどこか間が抜けていて、だらしがなくてもなんとなく生きることができ、それでいてみんな目が死んでいない時代だった気がします。

生き生きしている下品な大人の姿が、「浅草キッド」を読んでいると甦ってきました。

今では型にはまり何でも綺麗で便利になりましたが、それによって失ってしまった「人情」の素晴らしさを思い出します。

いわゆる「悪い」「汚い」「下品」「えげつない」いろんなエピソードがあり楽しませてもらいましたが、この作中でビートたけし氏が一番伝えたかったのは、師匠への揺るぎない感謝だったのではないかと感じました。

文末で師匠である深見千三郎氏は、自分が超えることが出来なかった凄い芸人だったと締めくくっているのが、多くを語らなくてもそこに全てが集約されているようでした。

私の見た昭和時代の汚い光景も今では、貴重な経験です。

私が小さな頃は、まだ町に情緒が残っていたと思います。

街灯も今ほど無くて夜になると、オレンジ色にぼんやりと照らされた町が、どことなく哀愁を漂わせていました。

暗くなると「口裂け女」が出て、「わたし、綺麗?…」と質問を投げかけられるという噂に恐怖し、馬鹿みたいな妖怪話に一憂したものです。

今でしたら、もっとリアルなものが出てくると想像すると思うのですが、あの頃はちょっと間の抜けた「口裂け女」が昭和らしいといえます。

私が中学生の時に「ファミコン」が登場して、その頃から急激に町の景色も変わっていった印象があります。

それまでは、子供ながらに汚いなと思う光景が普通にありました。

それこそ現代の環境保全家が見たら、目くじら立てて騒ぎだすより前に卒倒するのではないでしょうか。

煙草のポイ捨ては当たり前、車の窓から煙草の吸殻、唾は吐き出せれ、駅のホームの下には煙草の吸殻が山のように積もっていましたし、そこが灰皿のようなものでした。

ポイ捨て

私が幼少期の頃に住んでいた大阪府堺市の海岸よりの地域は、中世の頃は全国に名を轟かせた堺商人が住んでいた地域に近く、そこには堺の町を取り囲むようにした掘られたお堀が残っていました。

土井川と呼ばれてましたが、川などとは名ばかりでただの大きなドブでした。

いわゆるドブ川ですが、自転車や大きな家具が黒い水に突き刺さり、夏にはメタンガスが派生して泡が湧き、周囲はいつも悪臭が漂っていました。

川沿いには毒があるというキョウチクトウが植えられていたので、母親は決まって「毒があるから近寄ったらダメ」と叫んでいましたが、毒はかなり危険ですが口に入れたり、燃やしたりしなければ、近寄っただけで毒に侵されることはないと知るまでは、毒の木として恐怖の対象でした。

夏には道端の縁側に腰掛け、紋入りの上半身裸でさらしを撒いた強面の男性が、うちわ片手に涼をとっていましたが、何も知らない小さな私は「あっ、金さんおる」「遠山の金さんおる」と時代劇で知った、入れ墨入りの名奉行「遠山の金さん」がいると言って、指さしながら言ったものですから、母親の焦りぶりは尋常では無かったはずです。

遠山の金さん

きっと背筋には冷たい汗が流れて、一瞬で涼めたことでしょう。

ただ本物の方は、子供が何も知らずに口走ったことで、怒りを露わにしたりすることは無かったですし、泰然自若とされていたものです。

臭い物に蓋をして隠すよりも、全部広げた方が自然と調和が取れていくのではないかと感じます。

隠し立てして、あれこれ細工すればするほどに、ドツボにハマるのは一緒の法則のようですから。

HanaAkari

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