「墨子よみがえる」 半藤一利著 を読んで

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墨子〈読書感想文〉 〈日本人〉作品を読んで
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「非攻」の解釈が肝のようです。「攻めない」ことと、「攻めさせない」こと。

古代中国には諸子百家があり、争い事の絶えない世をいかにすれば理想の社会にできるのかと真剣に考えた時代がありました。

有名なところに〈孔子〉〈老子〉〈荘子〉〈墨子〉〈孟子〉〈荀子〉などがいます。

またそれぞれに流派ができ、〈儒家〉〈道家〉〈墨家〉〈法家〉などの学派が、それぞれの意見をぶつけ合ったようです。

考え方は千差万別であっても、人間社会の未来を真剣に考えているところは一致していたように思います。

中でも〈墨子〉は、理想を目指し努力を決して諦めなかった人物のように感じました。

天の理に則り、精一杯生きること以外に道はない、誤魔化しは通用しない、そんな感じです。

〈墨子〉は「非攻」=「戦争反対」を徹底していたようですが、戦争は勝っても負けても共に利が無く、こんな愚かな行為はないと断言していました。

〈天〉を〈愛〉や〈神〉に置き換えると、〈イエス・キリスト〉と似たような感じがしました。

攻めない「非攻」の考え方も、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」と言った〈イエス・キリスト〉の言葉と符合すると思います。

ですが、私が〈墨子〉を気に入ったところは、戦争を仕掛けないけれども、攻めてきたら守るといった姿勢があり、普段は善人であっても人は一度戦争になってしまうと我を忘れてしまい鬼畜と化してしまうから、戦争を起こさないように努めることが大切なのだと…言っているようでした。

その為には自らを投げ打ってでも、不屈の精神で貫くのだというのです。

ですから〈イエス・キリスト〉と〈武士道〉を足して割ったような印象を受けました。

根底は同じかもしれませんが、心得を実行するために現実を見て、具体的な行動を貫いたのだと思います。

また、そういった考えを人々に伝えて回るのは自分一人が実践するよりも、一人でも多くの人々が行動するようになった時の力に匹敵することは出来ないのだから、その為に伝えていくのだそうです。

中国

「非攻」についての現実的な捉え方は、現代でも参考になるのではないかと思いました。

天の意志に背いた行為は、必ず天の理によって調整が起こる、それだけを頼りにしていては人間の存在価値が無くなってしまいそうです。

すべての人が天の意志に沿って生きているのなら、戦争など起こらないようにも思います。

ですから〈墨子〉は天の理は絶対だけれども、人は人で努力しないといけないと言ったのではないかと思います。

みんながみんな〈墨子〉のような考え方を実践しながら生きていたら戦争などは起こらないはずですが、現実はまったく違います。

そうじゃない考え方があるのだから、そういう現実と向き合っていく必要があるように思います。

「戦争を自ら起こさない」を前提に「戦争を他からも起こさせない」というところも考えたのが〈墨子〉だったのではないでしょうか?

太極拳

スケールが小さくなりますが、私が若い頃にバックパッカーとしてアジアの国々を旅した時のことですが、日本では騙さない、盗まないなどは当たり前のことだったのが、他の国ではその常識は通用せず、騙されまくる、盗まれるという経験を数多くしました。

初めの頃は人として許せないと憤るばかりでしたが、無防備な自分にも問題があったから、そういった事態を招いたのだと気が付いてからは、トラブルは減りました。

いかに日本の常識が世界では独特なのだということ知った経験ですが、日本では常識な規範も他所の国では通用しないことも多いと痛感したものです。

隙あらば付け入ることが当然のような感覚があるのなら、隙を与えないとか、油断しないことも大切なことだと思います。

綺麗事だと割り切って諦めたりはせず大切にしながらも、綺麗事だけで済まされない現実もしっかりと見て行動することも大事だと思うのです。

HanaAkari

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