旅の玉手箱【スピトク・ゴンパ】〈インド・ラダック編-7〉

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旅の玉手箱 〈インド・ラダック編〉 旅の玉手箱〈インド・ラダック編〉
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インドの〈ラダック〉はチベット文化圏、ラダック人の住む地域です。インド北部には中国から亡命してきたダライ・ラマ14世が住むチベット亡命政府のある〈ダラムサラ〉があり、共に亡命してきた多くのチベット人たちが住んでいますが、〈ラダック〉はそれとは違い、昔は独自の王国があった所です。インドの北端地域にチベット仏教文化圏〈ラダック〉があります。〈リアル・チベット〉とは親戚のような感じで、〈リトル・チベット〉と呼ばれます。私は〈ラダック・レー〉には夏期に二度、冬期に一度訪れました。
スピトク・ゴンパ
〈ラダック・レー〉に初めて行った時の感動が忘れられません。私にとっては魂の共感というのか?波長が合うというのか?初めてなのにとても落ち着く場所でした。合計で三度訪れることができましたが、大変貴重な出会いや経験をさせてもらいました。特別な場所です。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【スピトク・ゴンパ】有難い祭り見学になりました。|旅の玉手箱 インド・ラダック編-7

スピトク・ゴンパ】

真冬のラダックに行きたかった大きな理由の一つは、ゴンパ(僧院)で行われるラダックの祭りを見てみたかったからです。

数多くあるゴンパごとに祭りがあるのですが、大半のゴンパは冬期に祭りを行っていました。

ひと月ほどの滞在期間中に、どこか一ヵ所でも祭りを見ることが出来ればという思いでした。

二回目にラダックに訪れた際の私は、幸運に恵まれ過ぎて怖いくらいに幸運続きで、奇跡的とも思えることが目白押しで、感動に心が揺れ動くことの連続でした。

今から考えると、何か私の中で滞っていた感情の澱のようなものを洗い流し、もっと楽しみなさいと後押しして貰えていたのかもしれないと思います。

凝り固まっていた感情を揺さぶる為には、強烈な感動が必要だったのかもしれません。

スピトクゴンパ

そんな幸運の渦は「祭り」のことでも起こりました。

〈レー〉でゴンパの祭りの情報を仕入れようと思って過ごしていたら、よく利用させて貰っていたお爺さんがやっていたチベタンレストランで、一人の青年の僧侶に出会いました。

ゴンパの祭りのことを教えてもらおうと会話すると、「もうすぐ私の住んでいるゴンパで祭りがあるよ」と教えてくれました。

その僧侶は〈スピトク・ゴンパ〉の方ということでした。

「是非、来て下さい」と誘われたのはとても嬉しくて、渡りに船とはまさにこのことだと有難いことでした。

また〈スピトク・ゴンパ〉は、 〈レー空港〉の近くにあり、〈レー〉の町から近いのも都合が良かったです。

少し距離はありますが、歩けない距離でもなかったので、交通手段の心配も一応クリアーでした。

祭りの日時を教えてもらい、再会を約束して青年僧と別れました。

「祭り」の当日は、散歩も兼ねて〈レー〉から歩いて〈スピトク・ゴンパ〉に行きました。

レー

ただの見物のつもりが、ゴンパの中に席を与えて貰って、飲食しながらゴンパの内部から祭りを見学させてもらうことになり、とても貴重な経験になりました。

祭り当日〈スピトク・ゴンパ〉まで行くと、この前出会った青年僧侶に運よく再会することが出来ました。

多くのラダックの人々が広場のようなところに集まって、祭りが始まるのを楽しみにしています。

私はそんな人々の傍らを通り、青年僧侶の誘いのままに案内されたのですが、着いた場所はゴンパの内部で、大きなお堂の中でした。

ゴンパ
イメージ画像です

座卓が並べられていて席についている僧侶もあれば、忙しそうに祭りの準備をしている僧侶もいて、見物者側でない、主催者側の場所に来たようです。

「ここで、どうぞ」と席を一つ与えられました。

青年僧侶は「私は演劇に出演するから、同席できませんが、楽しんで下さい」と言い残して、裏方の方に行ってしまいました。

周囲の僧侶たちも、よそ者の私のことを気にする様子もなく自然に接してくれましたので、少し緊張していたのも解けました。

おつまみのような軽食をつまみながら、演劇が行われているゴンパの広場を上から眺め、内側では忙しく衣装替えする僧侶らが向こうに見え、響いてくるチベット楽器の独特な調べ、お香の匂い、薄暗いお堂では特別な時間を頂きました。

ラダック 祭り

演劇を行う若い僧侶らが、仮面を取り替えたりする舞台裏まで見学できて、私の心は消化不良になるくらいに満たされていました。

心のほろ酔い状態のまま祭りは終わり、祭りの後というものは妙にセンチメンタルでおかしなものでした。

その後、ドイツ人の外国人旅行者グループと一人の日本人旅行者に出会って、私も旅行者に戻ったようです。

そして、ドイツ人グループがチャーターしていた車に便乗させてもらうことになり、〈レー〉まで難なく戻れました。

HanaAkari

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