旅の玉手箱【レー②】〈インド・ラダック編-5〉

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旅の玉手箱 〈インド・ラダック編〉 旅の玉手箱〈インド・ラダック編〉
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インドの〈ラダック〉はチベット文化圏、ラダック人の住む地域です。インド北部には中国から亡命してきたダライ・ラマ14世が住むチベット亡命政府のある〈ダラムサラ〉があり、共に亡命してきた多くのチベット人たちが住んでいますが、〈ラダック〉はそれとは違い、昔は独自の王国があった所です。インドの北端地域にチベット仏教文化圏〈ラダック〉があります。〈リアル・チベット〉とは親戚のような感じで、〈リトル・チベット〉と呼ばれます。私は〈ラダック・レー〉には夏期に二度、冬期に一度訪れました。
レー
〈ラダック・レー〉に初めて行った時の感動が忘れられません。私にとっては魂の共感というのか?波長が合うというのか?初めてなのにとても落ち着く場所でした。合計で三度訪れることができましたが、大変貴重な出会いや経験をさせてもらいました。特別な場所です。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【レー②】冬に温かい出来事が…とてもインパクトのある二度目の訪問になりました。|旅の玉手箱 インド・ラダック編-5

レー②】

二度目のレーでした。

前の夏に初めて訪れてからラダックの魅力に虜でした。

頭で考えるのではなく、肌感覚で「ここは好きだ」と感じていたものですから、ああして二度目のラダックに行けたことは幸せでした。

冬のラダックへは峠道は雪で封鎖されて通行止めになりますから、飛行機でしか行くことが出来ませんでしたが、思いが強かったことが行動に繋がったのだと思います。

夏には外国人観光客も多くいましたが、冬には殆んどいませんので、レーの町は静かでした。

この時外国人旅行者で出会ったのは、数人のドイツ人のバックパッカーと、一人の日本人バックパッカーだけでした。

なぜだか分かりませんが、あの時はドイツ人が多くいたようです。

ラダック

日中は太陽の日差しが強くて外出しても寒さをあまり感じませんでしたが、日が沈むと急に寒さが堪えました。

暖房設備がない安い部屋に宿泊していたので、夜には部屋の中でロウソクを燃やして気持ちだけでも暖を取ったり、寝る時は持参していた薄い寝袋に着の身着のままで入り、借りたブランケットを重ねて、蓑虫のようになって寝ました。

ですから陽が沈むと眠るような感じの生活になっていましたので、非常に早寝の生活でした。

この時は一ヶ月程ラダックに滞在しましたが、その間一度もシャワーも浴びないで過ごしたので、デリーに戻って久しぶりに服を脱いでみたら、古い皮膚が粉のようになっていてカサカサで、乾いた垢まみれでした。

そんな状態でもラダックは非常に乾燥した地域ですし何より寒いので、お風呂に入りたいと思うことはなかったです。

寒くて乾燥しているので微生物の活動が活発でないからだと思いますが、汗の臭いとかが気にならなかったです。

自分の体臭の臭いは分からないといわれますが、ラダックの人々もお風呂には入っていなかったのに、臭いは気にならなかったので、極度の乾燥状態は関係していたのだと思います。

ラダック

冬のラダックでは、人とのご縁が奇跡的だったように思います。

居心地が良いと思う場所は人それぞれでしょうが、私にはラダックは特別だったのでしょう。

心地良さ以上に、ここでの人とのご縁には私にとってとても有難いことが多くありました。

たまたま町外れで出会った、ドイツ人女性2人組と一緒に「シャーマン」の家に行きました。

あの日、私はレーの町から外れて行くような感じで、一人目的もなく散歩をしていました。

レーの町からかなり離れた場所まで歩いていたと思います。

ラダック人の姿も見かけないような所で、二人のドイツ人女性と出会いました。

なんでもこれから「シャーマン」の所に行くのだということで、「一緒に行かない?」と誘われたので、興味もあったので行ってみることにしました。

まだしばらく行くと小さな集落があり、地元の人がいましたので尋ねることができ、「シャーマン」の家まで辿り着けました。

ドイツ人は「オラクル」と言っていましたが、実際にあの場を体験した私は「シャーマン」とか「心霊治療」とか「神おろし」といったような感じが適切なように思います。

心霊や精霊を憑依させて病気を治療するようでした。

家の前まで行くと、黒猫がいました。

人に肩を借りながら、しんどそうに歩いている人がその家に入って行きました。

後を追って中にお邪魔すると、すでにこれから治療を受ける人々が数人ほど待機していました。

壁際にはチベット仏教の祭壇があり、その前に優しい笑顔の初老のおばさんがいて、他の人々と話しています。

その人の他に御付きの若い女性がいました。

今の私は、そのような目に見えないものの存在に対して懐疑的ではありませんが、当時は疑いの気持ちの方が大きかったで、興味はあるもののおっかなびっくりでした。

「オラクル」が憑依の準備に入り、マントラか呪文を唱え始めると、一気に部屋の空気が変わりました。

私は緊張と少し恐怖心がありました。

しばらくして憑依が完了した時の「オラクル」の顔つきは厳めしく、丸っきり人相が変わっていて、別人だと感じました。

怖い顔で順番に一人一人に治療をしていくのですが、言葉は分かりませんが「どこが悪い?」と質問をして、患者が答えた場所に噛みつくことで治療するようでした。

噛みついて悪いものを吸い出すようなイメージです。

きつく噛みつくのではなく、軽く噛むのですがとにかく顔つきが怖いのです。

あれ程優しそうだった人が、こんなにも変わるものかと驚きです。

順番にやってくるので、私たち外国人のところにも回ってきました。

片言ですが英語を話せるラダック人が、通訳のような役目をして下さったので助かりました。

一人のドイツ人女性は「腰が痛い」と申し出ると、私は腰に噛みつかれる彼女を目の前に見ながら、唖然としていたと思います。

その次に私の番がきて「お前はどこが悪い?」と聞かれたのですが、興味本位でそこにいるだけでしたし、特に思い当たることも無かったので、「ない」と答えました。

するともの凄い形相で「うぅ~」と唸り声をあげ、「邪魔だ、どけ」と言わんばかりに手で払われました。

そして次の人のところに噛みつきに行ったのです。

一通りすべての人の治療が終わると、「オラクル」は元の人の善さそうな優しい顔に戻ったのも不思議です。

帰り道で治療を受けたドイツ人女性に結果について尋ねてみると、「完全ではないけど、痛みは和らいだ」と言っていました。

不思議そうにしていたので、本当にそうだったのだと思います。

その後もこのドイツ人女性二人とは、時々行動を共にしました。

ラダック

「スピトク・ゴンパ」の僧侶に祭りに誘われる。

私が冬のラダックにどうしても行きたかった理由の一つが、冬に多く行われるゴンパ(僧院)でのお祭りを見てみたかったことがあります。

ゴンパごとに祭りの日時は違っていますし、情報が無かったのでレーの町で情報を収集しました。

その時に、一人の青年のお坊さんと知り合いました。

「スピトク・ゴンパ」の僧侶でした。

いついつに「スピトク・ゴンパ」でお祭りがあるからおいでよという展開で、まさに渡りに船のような話でした。

「スピトク・ゴンパ」はレーの町からも近い空港の近くにあり、徒歩でも行けないこともない距離にあるゴンパでしたので、そこで念願の祭りを見られるとは、何という至れり尽くせりの幸運だったことでしょう。

幸運はまだ続きがあります。

お祭り当日「スピトク・ゴンパ」に行くと、レーの町で知り合った青年僧に再会でき、見物客がいる広場でなしにゴンパ内の僧侶達の席に案内してくれました。

食事も用意されていて、他の僧侶に混じって着席して祭りを見学したのですが、高い位置にあるゴンパ内から祭りを見るので、見物客も一緒に見れましたし、祭りの舞台裏も見れました。

主催側の僧侶たちが仮面を付けたり外したり、せわしなく衣装替えするのがすぐ近くで行われていましたし、チベット楽器を演奏する僧侶たちも側で拝見できました。

祭りが終わるまで、図々しくもあの場に居させてもらいましたが、部外者の私のような者を混ぜてもらい、感謝しかございません。

ラダック

貧しいインド人家族との出会い。

人通りの少ない冬のレーの町で、靴磨きをしている色の黒いインド人を見かけました。

ラダック人ではなくインド人ですね。

どうやらラダックに流れてきて生活しているような感じで、ラダックの人は靴磨きをやってもらっていました。

旦那は靴磨きを仕事にしていますが、奥さんは「バクシーシ」と手を差し出しながら、お恵みをしてもらうのが仕事のようでした。

綺麗な顔立ちのインド人女性が、小さな赤ん坊を抱えながら「お恵み」に来た時には、なぜかいつもなら相手にしないのに、「バクシーシ」を行いました。

赤ん坊がとても愛らしかったので、写真を撮らせてもらったのですが、次の夏にもう一度レーに行った時に現像した写真をプレゼントしたら、こちらが恐縮するくらい喜んでくれて、私が逆に心に大きなプレゼントを頂けたのでした。

レー

「ラマユル」では偶然から、一般の方の家にお世話になりました。

ラマユル

レーから西に120㎞ほどの所に「ラマユル」という場所があります。

冬にゲストハウスとか営業しているのかどうかすら分からないのに、不安を押し切ってローカルバスで行きました。

バスは座席が一杯で、立って乗り続けたのですが、なにせ道中ほとんど何もないような場所でしたから、思い立ったはいいものの、情報が少なすぎて不安ばかり募っていました。

とにかく「ラマユル」で降りないといけないので、周囲の人に「ラマユル、ラマユル」と連呼して、到着したら教えてもらう作戦を使いました。

道でバスが止まり降りるように促されました。

そこでバスを降りたのは私と、もう一人のラダック人男性一人だけでした。

着いたはいいがどうしたものかと考えていると、その男性が片言の英語で話し掛けてきました。

私も片言の英語スピーカーでしたので、丁度良かったです。

「どこか泊まるところあるの?」「良かったらうちに来ない?」という嘘みたいな展開が起こり、それからしばらくその方の家でお世話になりながら、非常に貴重な経験をさせてもらう縁になりました。

そして次の夏にも再度訪問させてもらったのですが、私にとって旅の大きな宝物となったのは間違いありません。

HanaAkari

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