旅の玉手箱【デリー①】〈インド編-4〉

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旅の玉手箱 〈インド〉 旅の玉手箱〈インド編〉
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インド国内での動き
  • プンツォリン
    〈Phuntsholing〉〈ブータンの町〉
    〈プンツォリン〉では良縁に恵まれ、貴重な体験をしました。出会いあれば別れありで、ここで〈バングラデシュ〉から一緒に旅をしていたHさんとは、別々の行程でインドを楽しむことになりました。
  • カルカッタ
    〈Calcutta〉

    〈カルカッタ〉に来てインドらしいごっちゃごちゃした、噂で聞いていたインドの光景に出くわした感じがありました。ごみごみした町並、人の多さや貧困とその逆の格差が大きかったように思います。その後の旅行プランとビザの関係もあり長居せず、4日程の滞在で〈デリー〉に向かいました。現在はベンガル語読みの〈コルカタ〉になっています。

  • デリー
    〈Delhi〉

    〈カルカッタ〉から〈デリー〉まで、一気に列車で移動しました。寝台列車の2等席を使っての初めての長距離移動でした。それから〈デリー〉には移動拠点として何度も訪れることになりました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【デリー①】ニューデリー駅近くの安宿街|旅の玉手箱 インド編-4

【デリー

〈カルカッタ〉から〈デリー〉まで約1300キロメートルを寝台列車で一気に移動してきました。

丸一日くらい電車の中にいましたが、2等寝台ですが寝台は単純な造りですが、完全に横になることができましたので、過酷なようで実はそこそこ快適でした。

寝台列車の座席を予約する時は寝台が上の段になる席を選ぶ方が、荷物も奥に置けて安心ですし、気を遣うことが少なくて良かったです。

長い列車での移動の末、初めて辿り着いた〈ニューデリー駅〉は大きな駅でしたが、鉄骨剥き出しの古びた感じで、人がごった返している熱気のある場所でした。

バックパッカーにとってこのデリーの便利だったところは、ニューデリー駅のすぐ近くに安宿街があるところでした。

〈パハールガンジ〉と呼ばれる場所で、〈メインバザール〉とも呼ばれていました。

雑多な小汚い通りを進み、日本人バックパッカーがよく利用していた〈ナブラン〉という安宿に泊まりました。

その後も〈ナブラン〉は何度も利用させてもらいました。

ニューデリー

デリーの安宿街〈パハールガンジ〉=〈メインバザール〉は外国人バックパッカーの集まる場所でした。

タイのバンコクでバックパッカーが集う場所〈カオサンロード〉は外国人の溜り場といった印象が強くありましたが、このデリーのバックパッカーの溜り場は、外国人の姿は多いけれども、インド人の町に外国人が混ざっているという感じで、ちっとも外国人に寄せていない辺りがインドらしくて好きでした。

我が道を行くインドというのか、さすがインドと思える一面でした。

狭いごみごみした砂埃の舞う通りに牛が悠々と歩いているし、時にはゴミをあさっているし、一体全体何なんだここはというのが、インドという国を初めて見た日本人の感覚で一番多い感想だったと思います。

私もそうでしたし、その混沌とした魔力に魅了されてしまったのですから。

〈パハールガンジ〉のことでいくつか記憶に残っていることをピックアップしてみようと思います。

パハールガンジ

食事に選択肢がありました。

外国人があまり行かない所に行くと、外国人向けのレストランは無く、インド北部地域ではインドカレーの定食「ターリー」が食事のほぼ唯一の選択肢でしたが、〈パハールガンジ〉にはそういった「ターリー」等のインド食以外に外国人向けのレストランもありましたので、食事の幅にいくらか選択肢があるのは嬉しかったことでした。

カレー味ばかり食べていると、時に別の味が恋しくなる時がありましたので。

もちろん「チャイ」や「サモサ」といった軽食系インド料理の屋台は当然ながらあり、行きつけのチャイ屋で毎日一杯の「チャイ」を楽しんだものです。

サモサ屋
サモサ屋

お酒を飲める場所は地下にありました。

おそらく宗教的な戒律や道徳観でお酒を大っぴらに飲むという行為は、タブーなのでしょう。

バーや居酒屋のような所は一見すると見当たりませんでしたが、〈パハールガンジ〉には地下にそういったお酒が飲める店がありました。

人の目を忍んで隠れてお酒を飲む、アジトのようお店でした。

通り沿いの建物に地下に降りて行く階段があり、完全な地下に小さな裸電球のオレンジの光が落ち着く、ちょっとお洒落な感じの飲み屋でした。

知り合った方に教えてもらわなければ、自分だけでは気が付かなったはずです。

当時インドではお酒は嗜好品として高価でしたので、貧乏旅行者の生活基準からするとかなりの贅沢な行動でしたが、時にはいいものでした。

インドのビール〈キングフィッシャービール〉を嗜みました。

オーダーメードで着衣を作りました。

外国人が多いとはゆえ、インド人のバザール(市場)地域ですので、様々なお店がありましたが、生地屋では「サリー」や「クルタパジャマ」といったインド人の民俗衣装がオーダーメードできました。

「サリー」「パンジャビドレス」といったものは女性用で、男性は「クルタパジャマ」がは一般的です。

「サリー」は一枚の布を体に巻き付けて着る様ですが、「パンジャビドレス」は「クルタパジャマ」の女性仕様といった感じだと思います。

私は「クルタパジャマ」を作ってもらいインド旅行中はそれで生活していましが、日差しが強くて暑いインドでは楽でした。

メインバザール

よく停電しました。

日本に住んでいると停電になることは稀なことですが、当時のデリーでは頻繁に停電がありました。

一番厄介だったのが、酷暑期の夜に停電になると暑すぎて眠れなかったことです。

安宿にはクーラーはなく、天上からぶら下がった大きな天井扇風機をガンガン回しながら寝るのですが、停電で扇風機が動かなくなると、暑すぎてとてもじゃないけど部屋の中に居れる状態ではなくなるのです。

堪りかねて部屋の籠もった暑さから逃げて屋上に出ると、他にも逃げ出してきた人がいるので、電気が戻るまで談笑して過ごしたものです。

HanaAkari

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