哲学書「エチカ」に入門書で挑戦するも、ほぼチンプンカンプンでしたが、「!」もありました。
随分昔に哲学者スピノザの書いた「エチカ(倫理学)」を読んでみたことがあったのですが、さっぱり意味が分からず、まったく太刀打ちできなかったことがありました。
私は物事を論理立てて考えることが苦手なのもありますが、何か禅問答のようで理解不能による硬直から読み進めることすら難しかったです。
たまたま「エチカ」の入門解説書である「はじめてのスピノザ」を見つけ、サブタイトルの〈私たちはまだ、「自由」を知らない。〉という文言に興味が湧きました。
解説書なら理解できるかもしれないという思いから、あの時、歯が立たなかった「エチカ」に再び挑戦してみました。
大雑把に言うと解説書でも全部は理解できず、難解でした。
ただ、解説のおかげで理解でき、まったくのチンプンカンプンから抜け出せて、考えることが出来た所もありました。

なんとなくですが、私は「スピノザ」の考え方は好きかもしれません。
哲学的に論理立てて考えることが苦手なので、好きとか苦手とかと稚拙な表現になってしまいますが、「善悪の概念」についての部分は共感する部分でした。
普通一般的な概念から比較して「善悪」を区別するけれども、実際はそれ自体には善いも悪いもない。
私は、固定概念に縛られて善悪を判断せず、自分にとっては善かもしれないが、他の誰かにとっては悪になることもあると言っているのだと解釈しました。
固定概念に囚われず、頭の中で考えて決めつけてしまわず、実体験を通して自分にとっての最善を見つけて欲しいということかもしれません。
ただ自分が善だと思えば、何やってもいいという事ではないようでした。
もしそうなら滅茶苦茶なことになってしまいますが、善とか悪とかの概念そのものが根本的に違うようで、一般的に浸透している善悪の基準などはないという発想から、道を示してくれているようでしたが…ちょっとよく分かりませんでした。
完全、不完全もなくすべてはそれぞれに完全であるのに、一般的な概念で比較するから不完全が起こってしまうのだと。
やっぱり禅問答のようです。
「あるけど無い、無いけどある」みたいな世界で、仏教の教えに似ているようにも感じました。
有名なお経「般若心経」の一節「色即是空 空即是色」が浮かんできたのですが…

「色即是空 空即是色」・・・見えるものは実は無い、無いけれど見えるものはある…
私にはこの般若心経の「色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)」の真意は分かりません。
ただ、個人的に解釈して物事を考える際に参考にしていて、気に入っている言葉です。
「見えるものは実は無い、無いけれど見えるものはある…」言葉にすると訳がわかりませんが、「見えていると思っていても正しいとは限らないし、見えないものにも正しいことはある…」と、自分が正しいと決めつけるのはやめようという自戒としています。
また、何か満たされない感情に苛まれた時などは、「すべては幻だから、幻だったら自分次第でどうにでも色付け出来る」という風に、前向きに開き直って心を静めるように利用したりします。

スピノザ風にすると、「固定概念に囚われるな」になるのかもしれませんが、この「囚われ」が曲者であって、色々と苦しくなるのはこの「囚われ」から起こってくるのだと思います。
これは「言うは易し 行うは難し」の難敵です。
ですから、お釈迦様やスピノザはそこから抜け出す考え方を示してくれたのだと思うのです。
HanaAkari