「忠と孝を行わなければならない」日本人の心に語り掛ける熱がありました。
私は若い頃は戦争関係のことには興味が薄いどころか、自分には関係がないことのように感じていました。
なので、それらのことについて自分から知識を求めることもなく、何となく教えられてきた歴史観をそのまま鵜呑みにしていたので、昔でしたら太平洋戦後にGHQによってA級戦犯だとされた人物には、日本を戦争に導いた悪者だとして、興味を示すこともなかったはずです。
ただここ最近、歴史の嘘とか、捏造された過去といったことが多く知られるようになり、私自身も違和感を感じることも多くなっていることから、もしかしたら本当に大切なものは見えない裏側にあるのかもしれないという思いから、松岡洋右氏が子供たちに語った言葉とは一体どういったものだったのかと興味を持ったのです。
「少年に語る」は戦後GHQにより焚書とされた経緯があり、今になって甦ってきたこともあって、いわくつきなところも魅力的でした。
また子供たちに向けて直接語る言葉には嘘はないものだろうという、安心感もありました。
序盤だけ読んだだけで、松岡洋右氏はやはりひとかどの人物だったんだろうと思いました。
「私は子供たちに話をする時ほど熱が入る。大人は私の話を聞いても一晩寝るともう大概忘れてしまうものだけれども、子供たちはこれから人間になる人達だから可能性に期待できる」といったようなことから話が始まったからです。
素直な子供になって読んでみようと思いました。
できれば一晩寝て忘れないように、しっかりと向き合わないと笑われてしまうだろうと襟を正しました。
なるほどGHQにとっては都合の悪い内容というのも理解できました。
真実は時には、立場の違いによって都合の悪いものになるものです。
松岡洋右氏は侍の精神を受け継ぎながら、それを軸に知恵を働かせ行動する情熱のある人のようでした。
軽い荷を背負っていて、国が偉くなり皆が楽に旨いものを食おうと言う。そんな横暴なことは通るものではない。偉くなればなる程、重荷を背負わなければならないということになる。
あなた方は世に出た時にはもっと偉くなっている日本を背負って、そして祖先に背かぬだけの事をせねばならぬのである。
忠と孝を行わなければならない。
「忠と孝」言葉は知っていても、縁遠くなってしまっています。
「親孝行したい時には親はいない」その後悔から悶え苦しんだ私には、今だから少しは理解できた部分がありました。
辞世の句「悔いもなく 恨みもなくて 行く黄泉」・・・松岡洋右
日本の国を守るため、日本人のために熱い志を胸に、綺麗ごとだけではない現実と真っ向から向き合った人柄が、垣間見れました。
なにか「A級戦犯」というのは逆に勲章のようなものにも見えてきます。
イエス・キリストが人類の罪を背負って処刑されたというのと同じように、日本人の罪を背負ってくれたのかもしれません。
人々のために尽力された精神は繋がるものがあるように感じました。
他人のために信念を貫いた人には、周囲から何と言われようが、どんな罪を被せられようがほんの些細な出来事なのかもしれません。
そうでなければ、国の為に尽くした挙句「A級戦犯」にされた人が、人生の最後に「悔いもなく 恨みもなくて 行く黄泉(よみじ)」などと残せるでしょうか?
死後も様々な汚名を着せられもして…思い込みで物事を判断せず、公平に見る努力をしてみようと思いました。
HanaAkari