「愛用品」=「愛着のあるもの」は、いつしか身の回りから無くなっています…科学者の視点からの愛用品とは?
精力的にご活躍されている科学者武田邦彦氏によるエッセイですが、話す時と同じように文章も簡潔なのが、とても「らしさ」を感じ気持ち良かったです。
昔の天才によくいたように万能な才の持ち主なのでしょう、さらにはユーモアがあって非常に魅力的な人物だと思います。
そんな一風変わった科学者の目線から、「ものの時代」を終えて「こころの時代」を築くための一案が示されました。
ものは増えれば増える程、もっと多くを欲するので、いくら手に入っても満足することはなく、抑えがきかなくなるという、ものに幸福を求めた先の結末が述べられています。
そこで、そのことについてあれこれと語らずバッサリと斬り去り、「こころの時代」へ向かうと「愛用品」が中心になると提言されている辺りは豪快で、痛快さを感じます。
ものが溢れ、使い捨て生活が当たり前になってしまっているのは確かで、長く使っている愛用品というのは確かに無くなりました。
ただ、武田氏の提唱する「愛用品」の定義には、共感できました。
以前でしたら、革の鞄一つを使い込むことで、革の風合いを育てることから愛着が湧いたり、金属製品にしてもいぶし銀の風合いがシブかったのですが…
プラスチック製品の壊れやすさも気になっているのですが、安いからいいだろうと割り切り、壊れたらポイ捨てで新しいものを購入する習慣も染み付いていますし…
武田氏はそんな私のような人間を、手の平の上で転がすかのようにこう締めくくりました。
使い捨ての商品を選択している、わたしたちの習慣が変わらないうちは、「愛用品」は育たないでしょうと。
つまりは価値観が変わらなければ、いくら「愛用品」と言ったって「こころの時代」は築けないということだということでしょう。
武田邦彦氏による「愛用品」の五原則とは。
一、持っているものの数がもともと少ないこと
ニ、長く使えること
三、手をやかせること
四、故障しても悪戦苦闘すれば自分で修理できること
五、磨くと光ること、または磨き甲斐があること
どれも共感できますが、その五、「磨くと光ること、または磨き甲斐があること」などは、昔の家で見られた天然木の何とも言えない艶感を連想し、長らく縁がないことで懐かしさだけが甦ってきました。
HanaAkari