旅の玉手箱【ライフ・オブ・パイ 虎と漂流した227日】〈インド雑学編-34〉

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このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【ライフ・オブ・パイ 虎と漂流した227日】|旅の玉手箱 インド雑学編-34

【ライフ・オブ・パイ 虎と漂流した227日

インド映画ではありませんが、この映画は主役がインド人で、インドの〈ポンディシェリー〉という町の風景が出できます。

植民地時代にはインドの大半はイギリスの植民地でしたが、〈ポンディシェリー〉はフランスの直轄地になっていた場所です。

よく見るインドの町並ではなく、洋風の景観がこの映画にはそのまま撮影されていて、実際に現地で見たことのある風景と一致して懐かしく感じました。

南フランスの町〈リヴィエラ〉の町のようだと、インドの〈リヴィエラ〉と呼ばれていたことを、「ライフ・オブ・パイ 虎と漂流した227日」で知りました。

ポンディシェリー
ポンディシェリー

映画の中の会話から聞こえてくるインド人訛りの英語の発音も、実際のインドの情景と繋がります。

物語の結末もインド哲学のような精神性を感じさせられます。

映像が凄く綺麗で、漂流中のことですから衰弱して幻影を見ているのでしょうか?独創的な幻想世界にあの世とこの世との境界に引き込まれたかのようになります。

本当に美しい映像です。

トラ

この映画「ライフ・オブ・パイ 虎と漂流した227日」に対する個人的な思い云々…

ちょうどこの映画が公開されている時に、私は田舎から大阪に戻ってきました。

大阪に帰ってきた理由は述べませんが、伏せたいことは得てしてあまりいい話ではないものです。

つまり精神的にかなり落ち込んでいる時のことでした。

さらには育ちの地大阪に戻ってきた時に、父の胃ガンのことを知り、ちょうどその再手術が間もなく迫っている時だったのです。

なぜ知らせてくれなかったのかという切ない気持ちもあり、自己嫌悪も増しました。

何でも初期の胃ガンだったので、内視鏡を使った開腹しない除去手術だったから、家族全員に知らせることなく自分一人で対処したが、その一回で済むはずが手違いがあり、腫瘍を完全に切除出来なかったので、再度同じ手術をすることになって、初めて父は周囲の家族に話したようです。

父のそのようなところはいかにも父らしかったのですが、私は周囲の人々からは異端児として敬遠されていたこともあって、教えてくれなかったのはそれまでの自分の行いにも関係があるのだろうと思い、淋しい気持ちになったのを思い出します。

「弱り目に祟り目」という言葉がありますが、あの時はまさにそのような感じでした。

父の胃ガン再手術の日は病院に行きましたが、午後からの手術の時間までには余裕があったので、ちょうど病院近くにあったショッピングモールにあった映画館で「ライフ・オブ・パイ 虎と漂流した227日」が上映されていたので見に行きました。

インドにバックパッカーとして楽しい旅をした経緯もあって、この映画はインドに関係する雰囲気がある映画でしたから、うなだれた精神状態にあった私は、自然に足がそちらに向いたのだと思います。

あの時は、いい映画だとは感じつつも父の手術のことが気懸りで、心ここにあらずでした。

あれから10年以上経過して、再度この映画を鑑賞して改めてこの映画の素晴らしさを実感しました。

幻想海

人によって縁の深い映画というものが存在するのかもしれないと思いましたし、何かしら人生の節目には自然とそういったものに触れさせてもらえるものなのかもしれないと感じました。

冷静な状態で見た「ライフ・オブ・パイ 虎と漂流した227日」は、インドの景色の懐かしさを味わえて、初めて見た時には見落としていただろう美しい映像の数々、幻想的な世界観に存分に引き込まれました。

そして物語の最後には、なぜか初めてこの映画を見た時に時間を巻き戻されたみたいで、それを今の自分が聞かされているような言葉が出てきたことに非常に驚きました。

結局生きるということは、手放すことだ…

一番切ないのは別れを言えずに終わることだ…

父から多くを学んだが礼も言えなかった…

父の教訓がなければ戻れなった…

HanaAkari

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