人生は神様のはからい…人間の時間感覚では遅々としているけれども…いつかは必ず…
私は本を読んでいる時に、紹介などで他の書籍のタイトルが出てくると気になってしまうことが多くあります。
そうなった場合はその本を読んでみることがあり、それが全く別のジャンルのものだったとしても、こだわりなく読んでみます。
そんな流れで「神の計画(はからい)」に興味を持ちました。
著者の〈芹沢光治良〉氏は著名な作家だったようですが、初めて知りました。
幸いにも小難しく無く、すんなり読める文体で読みやすかったのが私には嬉しかったです。
とても興味深い内容で、色々と勘ぐらないで素直に読むと心に清涼な風が流れてくる内容でした。
「神の計画(はからい)」は、芹沢光治良氏が90歳を越えてから神様と接触する縁があり、その神様の言葉に従って書いた本ということでした。
そのミッションで執筆されたものが、〈神シリーズ3部作〉だということです。
その第三弾が「神の計画(はからい)」で、第一弾は「神の微笑み」、第二弾が「神の慈愛」です。
神様(この書籍では「親神」と表現されていました)は、地球という舞台を歓喜する人々で満たされるように、同志と共にたゆまず尽力されているのだそうです。
人は皆、親神様の御霊を胸に抱いて生まれてくるのですが、目に見える世界だけが現実だとして道を踏み外しがちなのだそうです。
頭で考えても理解出来ないことですが、この本の中では「良心」こそが「親神」様から預かっている部分だという解釈があったので、分かりやすく受け入れやすいものでした。
私がもっとも興味が湧いたのは、ずっと禍根を残し続けている宗教問題の抗争、そして戦争、憎しみの連鎖に対しての解決になるのではないかと思える内容が示されていたことでした。
古今東西、親神様はその都度、神の想いを伝える御霊を地上に送り、人々に覚醒を促しているようですが、その教えはその時の事情により都合よく利用され、歪曲されてしまっているのだとか…
〈お釈迦様〉や〈イエス・キリスト〉は純粋に親神様の言葉を伝えたにも関わらず、後の人々は宗教組織にしてしまった。
宗教を組織するようになどとは、一言も言わないのに…それが後々に対立を生み、収拾がつかなくなってしまっている。
お金に対する価値観もそう。
中には初めは親神様の言葉を純粋に伝えていたけれども、途中から伝道者の自我が混ざってしまったまま、後世に伝えられてしまったというのもありました。
それを後々の人々が信じてしまっているので歪みは大きくなっている、そんな内容までありました。
確かに様々な宗教の考え方を、それぞれが自分が信じているものだけが正しいと言い張っている限りは、溝は深まるばかりだと思います。
根は同じだということを想起し、そこからどうしていけるのかを考えることで、初めて先に進めるような気もします。
ただそんなことが簡単に出来るのなら戦争は起こらないのだろうし、戦争で沢山の人の命が奪われている一方で、人道だとか言っている歪さも無くなるはずでしょう。
この晴れない気持ちやるせなさとは、いつになればおさらばすることが出来るのでしょうか…
表層部分だけ見て小手先の対処をすればするほど、おかしくなるような気がします。
たぶん神様にお願いばかりせず、私たち人間も一緒に努力しないといけないのだろうと思います。
それは芹沢光治良氏のように特別なものでなくても、ほんの小さなことだとしても身の周りから自分の中にある「良心」と向き合うという、稽古に励むことの繰り返しなのかもしれません。
「地獄も天国も無い」これも興味深いことでした。
肉体を離れた後には、地獄も天国も無く、親神様の懐に抱かれながらそれぞれの修練を続けたり、また生まれ変わったりするそうです。
地獄があるのは地上の世界のことで、自らで地獄を作っているだけだと…子供の頃、悪い事をしたらよく言われたのが「そんなことしたら地獄に落ちるよ。天国に行きたかったら良い行いをしなさい」でした。
この発想なんかも、子供を安易に教育しようとする賢明でない行為のように思いました。
子供時分に電車の中でいちびっていると、「ほら、あの人が怖い顔で見てる、怒られるよ」と母から言われ、赤の他人を引き合いに出して注意されることがありましたが、それと同じような感じなのでしょう。
神様もただ同じ電車に乗り合わせた乗客も、勝手に悪者にされてしまうのでした。
HanaAkari