血潮に残っている日本人の美学に震える部分がありました。
戦後教育で育った私ですが、危険な思想だとされGHQによって排除されたものに程、何か大切なものがあるのではないかと最近では思うようになりました。
「武士道」の精神は、ぬるま湯で育った私には、研ぎ澄まされていて厳しく感じることが多いのは事実ですが、ギリギリですが何処かで共鳴する部分もあります。
例えるならば、整えられた余計なものがない和室は、厳格な感じがしてくつろげないのですが、凛とした畳の空間には胸がすく清涼さを感じます。
ですから日々の生活ではキリっとした和室の空気を敢えて乱すように、脱いだ衣服を畳の上に散らかしたりして、その厳格さを弛めようとしてしまうのかもしれません。
だけど凛とした和室の空気が好きなのは、やはり体内に流れる血潮が反応しているのだと思います。
武士の精神がDNAに刻み込まれているのでしょうか?
「葉隠武士道」は〈徹底して生きよ〉というのが根幹のテーマにあるようですが、厳しさに辟易してしまう反面、日本人の心として理解できるものも多くありました。
日本人の特質はマツタケの香気であり、その割り切れる強靭な繊維である。質素にして得も言われぬ美しさ、それである。
「花木は桜木、人は武士」という、この割り切れた生活の美しさを嘆称した言葉がある。
桜は咲くべき時に咲き、散るべき時に何の躊躇もなく散るのである。
このような散り際の美学は美しいと感じます。
そこから武士はそうあるべきであり、「死すべき時に死せざれば、死にまさる恥あり」というのです。
「葉隠武士道」においては、「死」は重要な出来事ではなく、もっと大切なものがあると語っているようでした。
徹底していますので非常に厳しいものでしたが、意外な一面もありました。
ただ「清廉潔白さ」「厳格さ」だけを説いていないのが、人間味があって嬉しくなった部分です。
水清ければ魚は住まないといわれるように、水には藻などがあり水垢があって、その陰で魚は成長するものであり、人間の家でも同じで多少の余徳(恵み)を残してやらねばならない。
だから交際上でも、見逃し聞き逃しがあってしかるべきで、それあって天下は安穏であり、幸福である。その心掛けであまりギスギスしないことが、武士の道である。
このような所は同じように〈人の道〉を説いている「宗教」とは少し違った感触がありました。
やはり、薄れていく日本人の大切な心が「葉隠武士道」にはあるみたいです。
私はこの「葉隠武士道」のすべてが良いようには思いませんし、受け入れがたいこともありましたが、やっぱり日本人には日本人の大切なものがあって、それを捨て去るのではなくアップデートしていくことが大事なのかもしれないと感じた次第です。
「葉隠武士道」の中で、心に何かしら刺さった文章ピックアップ。
まず自分の不足が判るということが、すべてを達成せしめる第一段階である。
昨日よりも今日の方が上手になり、今日よりも明日が上手になるという具合に、一生、日々仕上げることが大切であって、行き止まりはない。
果てしなく死の寸刻寸前まで、この心がけで進むのが真の武士の偉業である。
神は形式でなく心にある。
敬神に理屈なし。
まことに現在がすべてである。現代と現代とが重なり合って未来を形成するのである。
一度誤った人だからとて、捨ててしまったならば、人物は出てこないのである。一度誤ったものは、その誤ったことを充分後悔しているから、充分に気を付けて、かえって立派に用に立つのである。
一度誤って、後悔したからこそ、安心して保証人にもなれる。一度も誤ったことなど無い者には、危うくて保証人になれない。
人間の一生は短いから、好いた事をして暮らせ。苦を見て暮らすは愚かなり。
ただこれは若者には語れぬ奥義である。
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この奥義には「やっぱりね」という説明があって、好きな事をして暮らせというのは、一般的な好き嫌いのことをいっているのではなく、自分を磨き、ものの見方を工夫して、何事も好きな事として精進して下さいとのことでした(笑)
HanaAkari