「機動戦士ガンダム 1」 富野由悠季著 を読んで

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読書感想文〈ガンダムⅠ〉 〈日本人〉作品を読んで
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「初代ガンダム」の小説が電子書籍で読めました。子供の頃には分からなかった奥深い内容に、作者は未来が見えているのではないかと思いました。

「機動戦士ガンダム 1」 この本の初版が昭和62年10月30日ということで、電子書籍として甦ってくれていることで手軽に読むことができました。

子供の時はガンダムのアニメーションを見て、ガンダムとジオン軍のモビルスーツとの戦闘シーンにただ夢中だったのが悔やまれるくらい、ガンダムに登場する人物の人間らしい葛藤と、多くの深い洞察が散りばめられていたのだと知りました。

特に小説を読んでみると、富野由悠季氏の魅力に触れることになり、作中で重要な意味を持つ「ニュータイプ」は、この人のことを言っているのではないかとすら思いました。

ガンダムは世界設定が面白いだけでなく、人物の葛藤の中にある精神性や人間模様に考えさせられる一面が多分にありました。

人類の浅はかさに対しての諦めの気持ちと、相対して希望のようなところとが交錯しているようなところが、捻くれているようでリアルでした。

作戦に失敗したシャアが自らを省みながら呟く言葉が、まさにそんな感じでした。

若さゆえの過ちに気が付いて自覚はできても、認めたくないものだなと…

自分の過ちに気が付いていても、素直に認めたくないという気持ちは分かるところはあります。

子供の時には心にかすりもしなかった感覚がありました。

この物語の世界の情勢は、今の世の中のことのように思えてしまうのも驚きでした。

ガンダム

作者自身が「ニュータイプ」だったのではないでしょうか?

そしてエンターテイメントの中に、人間の明るい未来を描こうとしていたのではないでしょうか?

もしくは絶望の後の開き直りの気持ちだったのか?

そんな印象を受けました。

作中にある「ニュータイプ」とは?

「ニュータイプ」とは、てっきり超能力者のことを表現しているとばかり思っていましたが、小説を読んでみてそれとは少し違うニュアンスだったのだと分かりました。

覚醒した凄い人のようなものではなく、人間同士分かり合える能力に長けた人が「ニュータイプ」のようなのです。

人々が自然に理解し合うことができ、協調し合い調和のとれた未来を描ける人、描こうとする人、なんかそのような人を「ニュータイプ」と表現しているようでした。

凝り固まった固定概念の外側を見ることができ、そこに行ける人、そんな感じでした。

その「ニュータイプ」が葛藤に悩みながら、未来に向けて生きようとしている世界が「ガンダム」の世界だったようです。

ガンダム

HanaAkari

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