このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【シンカフェ・バス】ベトナムの旅行会社|旅の玉手箱 乗り物編-2
【シンカフェ・バス】
「ハノイ」から「ホーチミン」間の移動は全て「シンカフェ・バス」で行いました。
当時ベトナムの観光ビザの有効期間が一カ月でしたので、一カ月間で目的地とする町の数と一つの町に滞在する日数を割り出して旅のプランを決めたのですが、一カ月は長いようで短いものでいくつかの都市を巡るには、効率よく移動する必要がありました。
そこで「シンカフェ・バス」が外国人旅行者にとって一際輝く存在であり、当時のバックパッカーにとっては「一択」のようなものだったと思います。
各都市にある「シンカフェ・オフィス」間を結ぶように運行されていました。
「シンカフェ・バス」が便利だった理由
あの頃は現地の交通機関は発達していませんでした。
当時、「シンカフェ・バス」以外で長距離を移動して旅行するには、ベトナムのローカルな交通機関では時間と労力が掛かり過ぎて、旅の方法として選択肢にはできませんでした。
ほぼ全ての外国人旅行者は「シンカフェ・バス」を利用していたと思います。
料金が決まっていて、買い物の際にベトナム流の値段交渉をする必要が無くて助かりました。
ベトナムでの買い物は値段交渉が当たり前でしたが、「シンカフェ・バス」は外国人向けのツアー会社ですので、そのような面倒なことと、必要以上に高額な値段を支払う心配がなく実績もあるので安心でした。
英語が通じる。
外国人向けですので当然スタッフは英語を話しましたので、最低限の英語が出来れば何とかなりますので、ローカルに飛び込んで行くよりは圧倒的にスムーズでした。
移動以外でも日帰りツアーとかのオプションツアーがあった。
近郊の観光地への「オプションツアー」があって、観光するのに大変便利でした。
「オリジナルTシャツ」なんかも売っていました。
旅行者同士が知り合う機会になりますし、情報交換もできます。
たまたま同じバスになったことから、話が弾むこともあったりします。
移動のバスが出会いや情報交換の場になることもあると思います。
私はベトナム旅行中は英語にコンプレックスがあったので、日本語オンリーでしたが、慣れてきたり自分の気持ち次第で状況は変わっていくので、当時はもったいことをしたと思っています。
現在は偽物の「シンカフェ」があるみたいです。
「金に成るなら便乗でも何でもあり」という、「商魂たくましい」ところがアジアらしいというか、傍から見れば面白いですが、利用するならば適正価格で、偽物でもちゃんと仕事を果たしてくれるのなら問題はないのですが…、そこら辺りが恐いところです。
本物は現在「シン・ツーリスト」「Sinh Tourist」と改名されているようです。
やっぱり旅行するなら情報は仕入れておいた方がいいのかな。
または、「知らぬが仏」で楽しいことだけに特化して、後から「あの値段は適正だったのだろうか?」「あれはどうだったのだろう?」とかほじくり返さなければ、情報がなくても「楽しんだもの勝ち」になりますので、それもありかと思います。
その時を「風のように爽やかに過ぎ去る」「風と共に去りぬ」といった旅、憧れます。
HanaAkari