旅の玉手箱【アウランガーバード】〈中央インド編-1〉

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旅の玉手箱 〈中央インド編 旅の玉手箱〈中央インド編〉
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インド国内での動き
  • ハイデラバード
    Hyderabad
    ここからデカン高原を北西に移動し、〈マハラシュトラ州〉〈アウランガーバード〉へ。
  • アウランガーバード
    〈Aurangabad〉
    世界遺産にも指定されている〈エローラ石窟寺院群〉と〈アジャンター石窟群〉観光への拠点としてやってきました。ですが〈エローラ〉観光後に気が変わり、〈アジャンター〉には行きませんでした。この町には〈タージ・マハル〉を模倣して造られた〈タージ・マハル〉の安物版〈ビービー・カー・マクバラ―〉がありました。
  • エローラ石窟寺院群
    〈Ellora〉

    根気よくコツコツと造ったのでしょうが、人間の技に妙に感動したのを思い出します。巨大な岩を削りとって造られた寺院群でしたが、とてつもない規模でした。その労力たるやどれ程のことだったのでしょう?

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【アウランガーバード】ムガール帝国の歴史|旅の玉手箱 中央インド編-1

【アウランガーバード

この町は世界遺産に登録されている「エローラ石窟寺院群」と「アジャンター石窟群」を観光する為の拠点になっていました。

この二つの遺跡を訪れる計画で訪れました。

〈アウランガーバード〉から日帰りで「エローラ石窟寺院群」を観光に行った後に、突如として気が変わり「アジャンター石窟群」へは行きませんでしたが、どういった事情だったかははっきりと思い出せないのですが、多分疲れていたのだと思います。

この町はイスラム教の色が濃い町でした。

インドの北部に「タージ・マハル」を建国したムガール帝国の支配が、この辺りまで広がっていたようで、さらにここを拠点として南インドに侵攻を広げた歴史があります。

その証としてここには「ビービー・カー・マクバラー」という一見「タージ・マハル」にそっくりな廟墓がありました。

ビービー・カー・マクバラー
ビービー・カー・マクバラー

ムガール帝国第六代皇帝〈アウラングゼーブ〉の妃〈ディルラース・バーヌー・ベーグム〉の永眠の場として〈アウラングゼーブ〉の三男〈アーザム・シャー〉によって建造されました。

小振りな「タージ・マハル」のようですが、「タージ・マハル」は全体が白大理石で造られているけれども、こちらは予算の都合で白大理石と漆喰を組み合わせて建造されています。

漆喰とはゆえ、緻密なイスラム装飾が素晴らしいのに変わりはなく、張りぼてではないので一般庶民からすると、とんでもない代物なのは違いありませんでした。

いくら愛する母の弔いとはゆえそれは個人的なこと、こういった贅を尽くした振る舞いが、多くの人々を苦しめ反感に繋がったのだろうと邪推してしまいます。

また、財政確保の為に領土拡大する必要もあったのかと思うと、欲望の行きつく先は最後には衰退に繋がり破滅に至るのだと示してくれているようです。

それなのに、「タージ・マハル」や「ビービー・カー・マクバラー」のような遺跡を見ると、そんな人間のエネルギーに感動してしまう訳ですから、何ともいえない矛盾する気持ちです。

本当に都合の良いものです。

アウランガーバード

インドの地名によくある〈○○バード〉の「バード」は「都市」という意味です。

〈アウランガーバード〉のように、インドには〈○○バード〉という名の町が結構ありますが、「バード」には「都市」「町」といった意味があり、〈○○の町〉ということになります。

〈アウランガーバード〉は、ムガール帝国第六代皇帝〈アウラングゼーブ〉が、自らの名を都市の名にしました。

〈アウラングゼーブの都市〉ということです。

インドの北部地域を支配下に治めたイスラム王朝〈ムガール帝国〉は、アウラングゼーブの時代(在位:1658年~1707年)に、南インドまで支配地域を広げ帝国の領土は最大となりましたが、その南への軍事侵攻の拠点となった都市が〈アウランガーバード〉でした。

また〈○○バード〉という地名は、イスラム王朝の支配下時代に、イスラムの影響力が強かった町の名残りともいえると思います。

HanaAkari

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