- ムンバイ〈Mumbai〉
〈ナーシク〉から戻り、しばらくして一気に南の〈ケーララ州〉を目指しました。 - コーチン〈Cochin〉
現在は〈コーチ〉。西洋諸国の支配下にあった歴史があるだけに、インドっぽくなく、地中海風のちょっとお洒落な落ち着いた港町でした。シーフードがとても美味しかった記憶があります。 - アレッピー~コーラム〈Alleppey~Kollam〉
〈バックウォータークルーズ〉で、ケーララ州の水郷地帯をクルーズしながらのんびりと移動する船の旅でした。外国人観光客向けで、大体このようなものには西洋人が多かったです。同じ船に乗り合わせたアジア人は、香港人男性2人と韓国人男性1人と日本人の私だけで、これをきっかけに少しの期間、旅を共にすることになりました。
このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【アレッピー~コーラム】水郷地帯の船旅にて|旅の玉手箱 南インド編-2
【アレッピー~コーラム】
〈コーチン〉の近く〈アレッピー〉から南にある〈コーラム〉までの移動を、「バックウォータークルーズ」という、いかにも西洋人が好きそうな船の旅で行いました。
〈ケララ州〉の特徴の一つが水郷地帯ですが、その観光と移動も兼ねた一石二鳥の手段でした。
外国人観光客向けの船旅でしたから、外国人しかいなかったのですが、案の定西洋人の旅行者が多くいて、日本人は私だけ、アジア系では香港人の男性AさんとTさん、韓国人男性Hさんの以上でした。
私が南インドに行った時には、日本人の旅行者と出会うことはほとんど無く、外国人の旅行者も北インドに比べれば断然少なかったです。
著名な観光地に行っても外国人の姿はあまりなく、インド人の観光客が目に付くことが多かったのですが、〈ケララ州〉のバックウォータークルーズでは、10人前後の外国人が居合わせたので、今から思うと南インドでまとまった外国人旅行者の姿を見たのはあの時だけでした。
水郷地帯の景色は独特で、水面に出た土地にはヤシやバナナの木が栽培されていて、水路と渾然一体になって、川でもない珍しい風景を楽しませてくれました。
〈ケララ州〉名産という赤色のバナナ「レッドバナナ」も食べてみました。
果肉がモチモチしていて密度が濃く、弾力があり少しねっとりした感じでした。
普通のバナナより美味しいということで「レッドバナナ」の方が高価でしたが、私は普通のバナナの方が好みです。
朝から夕方までの日中いっぱいを使っての、のんびりとした移動でした。
船上では一人の世界を満喫していましたが、夕方になって〈コーラム〉に到着した時には、その日の宿泊場所を決める必要があり、情報交換のため俄かに交流を始めました。
暗黙の流れで西洋人同士は連れ立って近くの宿に向かい、アジア人同士も連れ立って適当に宿を取りました。
これがきっかけで、香港人、韓国人、日本人の3つの人種が一つのチームになって、しばらく一緒に旅することになりました。
私は当初の予定では、〈コーラム〉から〈トリヴァンドラム〉に向かい、そこから〈スリランカ〉に行く段取りでしたが、スリランカ行きのフライトの日まで少し余裕があったので、少しばかり寄り道をすることにしたのです。
これが事件も起こったりして、かなり面白い経験になったのでした。
〈ケララ〉の「ミールス」はバナナの皮がお皿になっている、質素で素朴なものでした。
インド北部の定食といえば「ターリー」ですが、南インドの「ターリー」にあたる食事は「ミールス」と呼ばれます。
カレー風味なのはどちらも変わらないのですが、主食になるものが違い、「ターリー」はチャパティと呼ばれる小麦からできたものに対して、「ミールス」はお米になります。
その大きな違いを除けばよく似たものでしたが、地域によって味や特徴に大きな違いはありました。
〈ケララ州〉の「ミールス」はバナナの葉をお皿にしていて、量も味も質素でした。
地域による貧富の差も関係しているのかもしれません。
「カタカリ」ダンスは、〈ケララ州〉の古典舞踏劇ですが…
〈ケララ州の〉の伝統芸能を見に行った時に、インドネシアのバリ島で見たバリ舞踊とよく似ていると思いました。
インドネシアのバリ島は、イスラム教徒の多いインドネシアの中でも珍しく、ヒンドゥー教徒が住む島で、独特の風習が魅力的だったお気に入りの場所です。
〈ケララ州〉の古典舞踊「カタカリ」を見た時に、「あれ、見たことがあるかも?」と閃きました。
衣装や化粧、独特の所作、目力とかが、バリ島で見たバリ舞踊とよく似ていて、たぶん繋がりがあるのだろうと想像しました。
かつてヒンドゥー教がインドネシアに伝わったということは知っていましたが、それがもしかしたら南インドのヒンドゥー教であって、それも〈ケララ州〉辺りの文化の流れを汲んでいるのかもしれないと思ったのでした。
素人の直感では雰囲気がよく似ていました。
あの胸のざわついた憶測は一人合点であるかもしれませんが、私にはあの発見は少し嬉しかったのです。
北インドのヒンドゥー教文化から、バリ・ヒンドゥー教の気配は感じなかったのですが、〈ケララ州〉の文化に接してルーツの糸が見えたようだったからです。
バナナの皮をお皿に使う文化もそうでした。
海を渡って行ったのかな⁉
妄想すると楽しいです。
HanaAkari