- カーニャクマリ〈Kanyakumari〉
インド最南端からインドの中央地帯をかなり強行して北上していきました。 - メットゥパヤラム~〈Mettupalayam〉
〈ニルギリ山岳鉄道〉の起点になる町。この町に宿泊した記憶がないので、早朝初の山岳観光列車に乗る為に夜行列車でここの到着し、そのまま〈ニルギリ山岳鉄道〉に乗り継いで〈ウーティ〉に向かったと思います。 - ~ウーティ〈Ooty〉
避暑地として開発されたリゾート地です。標高が高いので暑くなく過ごしやすかったですが、少し肌寒いくらいでした。
- マイソール〈 Mysuru〉
1947年までマイソール王国の首都だっただけあって、宮殿は豪華で見ごたえがありあした。カルナータカ州になり、デカン高原地帯にやってきました。
このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【ウーティ】|旅の玉手箱 南インド編-12
【ウーティ】
「ニルギリ山岳鉄道」に乗りたくて目的地に選んだ場所です。
〈ダージリン〉と同じで、イギリスの統治時代に標高の高い山岳地帯には、避暑地として開発された場所がいくつかあり、紅茶の産地でもあります。
〈ウーティ〉は標高、約2200メートルありますから、少し肌寒いくらいでした。
急勾配を登っていきますから、汽車はゆっくりとしたスピードで進み、緑に囲まれた山の空気を味わいながらのことでした。
終着駅「ウダガマンダラム(ウーティ)駅」を出たすぐ近くに競馬場らしきものがあったのですが、イギリスの文化の名残りを感じる景観でした。
町もインドらしからぬ少し垢抜けた感じがして、異国情緒は感じることはありませんでしたが、空気が綺麗なのは嬉しいことでした。
色んな宗教感が入り混じって、清濁が混沌としていたゴリゴリのインドらしさはありませんので、刺激がなくて退屈でしたが、ちょっとした息抜きには良い場所でした。
「ニルギニ山岳鉄道」に乗った時は…
麓側の起点になる〈メットゥパヤラム〉を朝に出発したのですが、その時から小さな汽車は満員でした。
外国人の姿はなく私以外は全員インド人でしたが、いくつかの団体がバカンスを楽しみに行くのでしょう。
気分が高揚しているものですから、とにかくはしゃぎまくっていました。
汽車は急勾配を登って行くので、非常にゆっくりとしたスピードですから、退屈したのかもしれません。
周囲の景色を楽しむのも飽きたのか、途中から山頂の終着駅〈ウダガマンダラム(ウーティ)駅〉に到着するまでの間、大合唱が続きました。
どういった歌なのかは分かりませんが、ほとんどの人が知っていて歌っていましたから、日本では子供の頃に誰もが接することのある童謡のようなものなんだろうか?と思ったりしたのですが、インドのことですから映画音楽なのかもしれません。
宗教的な音楽ではありませんでした。
初めのうちはインド人の元気でパワフルな一面に衝撃を受けて、凄いなこの人達!と感心したものです。
ただ、ずっと同じような曲の合唱がいつまでも終わらないので、だんだんと耳障りになってきて、イライラしてきました。
「ちょっと静かにならないかな」と勝手な感情が湧きあがってきて、良くないことですが腹が立ってきました。
最後の方は終着駅に早く着いて欲しいと思っていましたね(笑)
せっかくの汽車の旅をもったいないことにしてしまったと反省します。
HanaAkari