- マハーバリプラム〈Mahabalipuram〉
素晴らしい観光をありがとう。ポンデシェリーに向かいました。 - ポンディシェリー〈Puducherry〉
フランスの直轄地だったそのままの感じが残っていたので、インドらしい町並ではなく、西欧の町みたいでした。南フランスのリゾート地〈リヴィエラ〉から例えられて、インドの〈リヴィエラ〉と呼ばれるそうです。 - ラーメシュワラム〈Rameswaram〉
スリランカに向かって伸びる半島のような地形は独特で、ヒンドゥー教の聖地です。ここは非常に好きになりました。肌感覚で分かる心地良さがあり、私にとっては稀に出くわす心身、魂までも喜ぶ場所でした。
- カーニャクマリ〈 Kanyakumari〉
インド亜大陸の最南端にある聖地。インドのどんつきとなれば、避けては通れない場所でした。最南端のコモリン岬からのご来光は、そこに行けた限りは意地でも拝んでみたいものでした。
このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【カーニャクマリ】南端の処女神|旅の玉手箱 南インド編-11
【カーニャクマリ】
インドの最南端に位置する〈カーニャクマリ〉。
最果ての地という響きにはそれだけでそそるものがありました。
岬の先端のような突き当りになるような場所に行くことで、くだらない達成感を得て、ちょっとした到達気分を味わうのが好きな私には、〈カーニャクマリ〉のような場所は打ってつけの場所でした。
〈カーニャクマリ〉は、ヒンドゥー教の聖地としてヒンドゥー教徒の巡礼地になっていますが、人間は心の何処かに大自然への尊厳の気持ちは持っているのだと思います。
そうして人間の生活できる大地が尽きる場所は神聖視され、岬の向こうにはただ広大な海原が広がっていることに茫然とするのだと思います。
ここインドの南端、コモリン岬ではどうしてもやっておきたいことがありました。
一つが「御来光を拝む」ということと、もう一つは「沐浴」です。
東の空に日が昇り、しばし感動に酔いしれた後、身を清める為に海に入りました。
インドでは「沐浴」という水に入って身を清める行為は、宗教的な習慣として見慣れた光景ですが、ガンジス川の沐浴風景が有名なように、聖なるいわれがある川に入ることが多く見られますが、海で「沐浴」するのは初めてでした。
俗な旅行者感覚では、澱んだ茶色い川に入るよりも、海の方が抵抗がなかったのは正直な気持ちです。
気持ちよく入れました。
ここにある「クマリ・アンマン寺院」は独特で異様なヒンドゥー教寺院でした。
「クマリ・アンマン寺院」には、処女神〈カーニャクマリ〉が祀られていますが、石造りの堅固な箱型の外観からして、これまでに見たことのない造りでした。
〈カーニャクマリ〉は陽が昇ると眠りにつくため、昼間は閉鎖されていましたので、日の出前の早朝に参拝する必要がありました。
男性は上半身裸にならないといけないので、その巡礼の作法にのっとりました。
これまでに靴を脱ぐケースは度々ありましたが、上半身裸というのは初めてで、日の出前の暗さもあって異様な雰囲気だったのが思い出されます。
その異様さは寺院の中に入ってさらに増しました。
中は真っ暗で、迷路のようになった通路にはオイルランプの灯りが点々と続き、おぼろげに狭い通路を照らしていました。
独特な構造と空気感から、古代のクレタ島でミノタウロスが閉じ込められていた迷宮のように思え、薄気味悪さを感じるのですが、空気感に慣れてくるとその異様さが心地良く感じたりして、不思議な所でした。
独特でした。
〈カーニャクマリ〉は〈ブラックマリア〉と関係があるという説も目にしたことがあります。
〈黒い女神〉信仰ですが、マリア様は処女でイエス・キリストを生んだ伝説と、処女神〈カーニャクマリ〉とも不思議に一致しますので、もしかしたら…なんて考えたりもします。
ネパールのカトマンドゥで会った〈クマリ〉
ネパールのカトマンドゥには生きた少女が、〈クマリ〉として人々の信仰になっていたのですが、〈カーニャクマリ〉と関係性はあるのかもしれません。
ネパールの〈クマリ〉は厳しい選別の末選ばれた少女が、生き神として初潮を迎えるまでの間、「クマリの館」にて過ごすのですが、こちらも「処女神」です。
ヒマラヤの足元、北の〈クマリ〉と、インドの南端、南の〈カーニャクマリ〉…面白いです。
HanaAkari