このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【ナンorパン】レーで食べたナンもどき|旅の玉手箱 食べ物編-26
【ナンorパン】
インド最北部、ヒマラヤの北西にあるチベット仏教文化地域〈ラダック〉は、私が旅した中で一番魅了された場所でした。
三度訪れましたが、その都度素晴らしい経験をさせて頂き、記憶に残っていることも多い場所です。
ラダック唯一の町(他は村や集落が適切な表現だと思います)ともいえる〈レー〉の町で、古い〈オールド・レー〉地区の路地を散策がてら歩いていると、小さなパン工房らしきものを発見しました。
みすぼらしい感じでしたが、ナンのようなパンのようなものを焼いているので、辺りには香ばしい美味しそうな匂いが漂っていました。
〈ラダック〉は現代はインドですから、「ナン」なのかなと思いつつも、なんとなく違う感じもして「パン」の方が近いような、そんな「ナンもどきのようなパン」が売られていました。
それは温かい間はとても美味しかったですが、冷めると非常に硬くなってしまい食べるのに顎が疲れました。
「ナン」だったのかな?でもアクセントに〈ケシ〉か〈ゴマ〉か記憶は定かではありませんが、どちらかの粒がまぶされていたので、「パン」のように思っていた気がします。
お店の人はラダック人とは違う印象がありました。
店先にいた男性は、明らかにラダック人でもインド人でもないようでした。
おそらく西隣のカシミール人なのだと推測しています。
顔の彫りが深く少しエキゾチックで、服装からもペルシャ方面の雰囲気を感じました。
もしかしたらパキスタンやアフガニスタンにも近い〈ラダック〉ですから、〈レー〉で食べた「ナンもどきのパン」は、あちら方面の「ナンorパン」文化の影響のものだったのかもしれません。
外国人旅行者相手のお店ではなく〈レー〉に根差している感じでしたから、異文化の交流なのだと思います。
私は侵略、征圧ではない、民間人の異文化交流には好印象を持ちます。
HanaAkari