旅の玉手箱【インド人は手相を診れる⁉】〈インド雑学編-19〉

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このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【インド人は手相を診れる⁉】鳥肌に鳥肌ものでした。|旅の玉手箱 インド雑学編-19

【インド人は手相を診れる⁉

インドのバラナシ近くにある、仏教聖地〈サールナート〉の日本寺にしばらく滞在していた時のことです。

朝夕の二回のお勤め(本堂にてお題目を唱える)をするという、たった一つの条件を満たせば誰でも宿泊させてもらえました。

バックパッカー以外でも、流れて来たインド人も長期間滞在していましたし、日本人以外の外国人の旅行者もいました。

私が滞在した時には、韓国人、ギリシャ人、アメリカ人に出会いました。

個性の強い人が多く面白かったです。

サールナート
サールナート

そんなインドの日本寺でしたから、時に出入りするインド人にも大変驚かされたことがあります。

エリートインド人らしい出で立ちの青年でしたが、お寺に遊びにくるくらいですから、精神性の高い雰囲気が力強く漲っているような人でした。

澄んだ目の奥が輝いていて、見えている世界が他の人と違っているかのような方だったのですが、世間的な立場は大学生か大学院生だったと思います。

爽やかで自己肯定感の強い感じの人でした。

手相を診ることが出来るということで、その時に宿泊していた日本人旅行者の一人が診てもらったのですが、図星過ぎて怖い、何で言ってもないことが分かるんだろう、信じられなぁ~い、みたいな感じで非常にテンションが上がっていたものですから、私も興味本位で診てもらったのでした。

まさに「信じられなぁ~い」でした。

初対面ですし、手相を診てもらう前には特に会話を交わしていませんので、私についての情報は相手には全くありませんでした。

それなのに、絶対分かるはずもないようなことをズバリと言ったのです。

「あなたは、車で事故したことが大きな傷になっていて、ずっと気に病んでいる」そう言われました。

まず、車で事故をしたことが、なぜ手相を診て分かるのかが不思議でしたし、言われたことはまさにその通りだったのは、鳥肌の上に鳥肌が立つほどでした。

私はこのサールナートに来る少し前まで一緒に旅をしていた友人に誘われて、バックパックの旅を始めたのですが、実はその友人が先に日本を出発する前に、その友人が所有していた古い車を貰ったのです。

私はその車を一ヶ月もしないうちに、大きな事故を起こして廃車にしてしまったことが、ずっと気になっていました。

その後、その友人からバックパッカーの魅力を伝えられ、誘られたことでバックパックの旅に合流しました。

旅の魅力が分かり始めた私が、旅に対するエゴが芽生え一人で旅をしようと決断した際にも、あの車を廃車にしてしまったことで、友人に対しての申し訳なさに苛まれ、なかなか決断することが出来なかったのもありました。

今の私では考えられない思考の蟻地獄にハマっていたのですが、それを初対面のインド人に手相を診ただけで言い当てられたのは、本当に驚愕でした。

チャクラ

あの人が他に会話にしていた内容は後になってからも、鳥肌ものです。

たとえば、あのお寺で修行をしていたKお坊さんの手相を診て、「この人は日本に帰る」と言ったことがあります。

事実Kお坊さんは、今は日本でお坊さんをやっています。

あの頃は、周囲の人々も本人も全く想像できない内容でしたが、結果そうなっているのは事実です。

また、あの頃お寺によく出入りしていたインド人青年がいたのですが、そのインド人青年を見て「あのインド人はなんだ?」「あの貧相な見た目は?」などと言っていたのですが、確かに見た目からして貧乏臭く胡散臭い「ネズミ男」のような感じはありましたが、「何もそこまであけすけに悪口を言うなんて」と思ったものです。

それから10年以上経過した後に聞いた話ですが、そのインド人は日本寺が仏塔(ストゥーパ)を建造する際に、地元の人とのやり取りなどで協力をしていたようですが、密かに結構なお金をくすねていたのが発覚したそうです。

ありがちな話ですが、占い師のようなインド人のセリフを思い出すと、あの人は手相以外に何か別なものを見ていたのではないかと思えてなりません。

チャクラ

巷のインド人占い師はもう一人いた。「手相学」ということでした。

さらにとんでもなかったことが、私の手相を診てくれたインド人が別の日本人の手相を診た時に、「35歳の時にどこそこの臓器に大きな病気をする」と具体的な年齢と病気をする箇所を言ったのですが、相当大きな病気になるから気を付けるようにとアドバイスしていました。

診てもらった人も、その臓器には以前から持病があるようで、意識しやすいようでした。

そこにあの時、日本寺に滞在していたインド人の仏教僧侶がやってきて、同じように手相を診て「その通りだ」と言ったのでした。

私は、そのインド人も手相を診れることにびっくりしたのですが、家柄はエリートのインド人でありながら仏教の僧侶になっているあたりから、訳ありな感じはありますがとても不思議でした。

流石に二人の青年インド人が、いとも簡単に日常のことのように手相を診て、同じ見解を示したこと、二人は繋がりがある関係でないこと、たまたま居合わせただけ、そんな状況はアンビリーバブルでした。

質問しないはずがありません。

「なんで手相を診て、そんなことが分かるの?」

二人口を揃えての返答は「誰でも勉強すればできる」でした。

インドでは「手相学」があるそうで、手相を診ることは「占い」というよりも、ただの「学問」なのだそうです。

普通のインド人が当然のように手相を診て、ただの日常があるのがインド恐るべしでした。

HanaAkari

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