桜の花が短い花盛りの後に散りゆく様は、無情の悲しみが散る花びらの一つ一つに儚く見え隠れしているようで、弱いのに強いような力強さを感じます。
全ての物事は、「移ろい行くもの」だと分かっていても、ずっと変わって欲しくないという願望はどこかにあって、永遠と朧の間でいつも葛藤しているようです。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【もものあわれ】無情なる儚さは美しい輝きになれ|言葉の小槌103
【もののあわれ】
儚いものの情緒に美しさを感じることのできる感性は、素晴らしいものだと思います。
桜の花が短い花盛りの後に散りゆく様は、無情の悲しみが散る花びらの一つ一つに儚く見え隠れしているようで、弱いのに強いような力強さを感じます。
移ろい行く強さを見習いたいのに、実際に自分の身に起こる出来事に対して、なかなかそうは出来ないものだとつくづく思います。
私の場合は悲しみを美しさにするのは、少し時を必要とするのかもしれません。
悲しいことは悲しいことで、初めはやっぱり苦痛ですね。
たとえ散り際の美学を習って表面は格好つけても、心の奥底では号泣しているものなんだな。
この霞が桜の花びらが一枚一枚散るように、晴れていってくれたらなあ。
全ての物事は、「移ろい行くもの」だと分かっていても、ずっと変わって欲しくないという願望はどこかにあって、永遠と朧の間でいつも葛藤しているようです。

「諸行無常」なだけ、今を精一杯楽しくしたいものです。
時に悲しみに暮れることがあっても、一時的にはその悲しみを思いっきり堪能して、悲しみを移ろい行くようにすればいいのかもしれないのかな?
囚われてしまったら苦しみは長引くようで、次に向かってなかなか生まれ変われなくなってしまいますし。
悲しみ、苦しみなどの辛い事ほど、「もものあわれ」に静かに散らしてしまえると、それすらも瞬間の美しい輝きを放つのではないでしょうか?
生きていることは「諸行無常」のように感じることが多いですが、悲しみはきっと美しい力になってくれることを願います。

HanaAkari