聖徳太子による三者三様の捉え方。自分が常に正しく聖人で、相手が必ず間違っていて愚かだということはない。みんなが共に凡人なのだ。
もっともっと全てのことに対して「尊重」するということを、思い出したい気持ちです。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【三者三様】それぞれ違うから尊重することが大切|言葉の小槌118
【三者三様】
人はそれぞれ違う、三人居れば、三通りの考え方がありますよ、三つの個性があるますよといった意味の言葉です。
文字通りですし、なるほどその通りですと、頭では解釈しやすいのですが、本当にそのように理解して人と接しているのかは別のように思います。
それぞれ違うのですから、違っていて当然という事が前提にあるならば、もう少し自由な空気が広がっていて、息しやすいようなはずなのにと感じているは私だけでしょうか?
多くの人間がいる人間社会では、ルールは必要になるのかもしれませんが、最低限にならないものなのかな?必要悪のような捉え方にならないのかな?と考えたりします。
独り歩きしてゆくルールに人の方が、囚われてしまっているような感じもしますし、自分の正義を振りかざして、力ずくで物事を推し進めようとしている現象が目立ちます。
社会情勢もそうですし、身近な生活の場所でも、私も含めてどれだけ偉い人が多いことでしょう。
なかなか難しいのですが、私はまず相手を「尊重」するところから、人と接するように小さな努力をすることにしました。
もっともっと全てのことに対して「尊重」するということを、思い出したい気持ちです。
「十七条憲法」聖徳太子のメッセージ
日本最初の憲法「十七条憲法」を聖徳太子が作ったことは有名ですが、第一条は不変なのではないでしょうか。
聖徳太子の言葉を改めて、思い出すことから展開していくものを期待します。
「和を以て貴しとなし」から始まる第一条と第十条を抜粋させて頂きます。
十七条憲法第一条
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
一に曰く、和を以て貴しとして、争わないようにすること。人は群れをつくりたがるが、達観する者は少ない。だから君主や父親にしたがわなかったり、近隣の人ともうまくいかない。しかし、上の者が和やかに下の者と接すれば、意見が違うことがあっても、おのずから道理にかなってゆくだろう。そして調和し、何事も成就することができるだろう。
十七条憲法第一条:聖徳太子
十七条憲法第十条
十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。、我獨雖得、從衆同擧。
十に曰く、心の怒りを治めて、憤りを棄て、他の人が自分と違っても怒らないこと。人みんなに心があって、それぞれの考え方がある。相手がこれが良いと思っても自分は良くないと思うこと、自分が良いと思っても相手は良くないと思うことがある。自分が常に正しく聖人で、相手が必ず間違っていて愚かだということはない。みんなが共に凡人なのだ。良いとか悪いとか、正しいとか正しくないとかは、誰が決めることができるのだろうか。お互いに賢くもあり愚かである。それは耳輪には端がないように繋がっているようなものだ。相手が怒ったら、むしろ自分に間違いがあるのではないかと考えなさい。自分の正義を振りかざすことなく、聞く耳を持ち、共に行動することに努めなさい。
十七条憲法第十条:聖徳太子
HanaAkari