一年の締めくくりのケジメとして、また新年を真新しい気持ちで迎えることが出来るようにと、古くからの素晴らしい伝統的な考え方には、もろ手を挙げて賛成です。
が…めんどくさがり屋の私は大掃除とういう大掛かりな作業と、重労働が苦手です。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【掃除好きだが、大掃除は嫌い】ずぼら人の判断|言葉の小槌124
【掃除好きだが、大掃除は嫌い】
「掃除好きだが、大掃除は嫌い」なんかそれっぽい格言のように聞こえませんか?
これは私が自分について、ふと思ったことです。
年末の時期になると必ず「大掃除」という言葉が世間に出回るので、どうしても「大掃除」のことを意識してしまいます。
一年の締めくくりのケジメとして、また新年を真新しい気持ちで迎えることが出来るようにと、古くからの素晴らしい伝統的な考え方には、もろ手を挙げて賛成です。
が…めんどくさがり屋の私は大掃除とういう大掛かりな作業と、重労働が苦手です。
わりと綺麗好きなので普段からマメに掃除はしています。
わりに潔癖症寄りかもしれません。
もう随分と前から続けていることは、大掃除をするのが嫌だから、普段から綺麗を維持して大掃除などをする必要のないようにすればいいのだという発想です。
シンプルなことですが、汚れに気が付けば蓄積する前に掃除をすること、物は片付けること、片付けも面倒なので、なるべく物は少なくなってきました。
あと、必要のない物はどんどん処分すること、処分するのも面倒なので必要以上に増やさないこと。
こんな性格だから大掃除は必要ないように思えるのですが、自分という人間の不思議なところは気が付けば、必ず必要のない物はいつしか溜まっていることです。
年末の大掃除は嫌いですが、物の片づけも含めればやっぱり少しは大掃除めいたことは毎年やっています。
とにかく面倒くさがり屋なので、なるべく手間を省こうと普段から意識しているにも関わらず、蓄積しているものが出てくるのは謎です。
飽きるということかもしれません。
ずぼらな性格と潔癖症気味の性分が出した結論は…
引っ越しの際に必ず驚くのは物の多さです。
いい機会とばかりに引っ越し時には、いらない物は思い切って処分できるのはいい事ですが、引っ越した後に必ずと言っていいほど不思議な気持ちになるんですね。
「なんでこんな物を持って来たんだろう⁉」といった物が結構出て来るんです。
段ボールの箱に詰める時には、「必要」と判断され、見事チエックポイントを通過したはずの物が、再び新天地にその姿をさらした時には、ガラクタ同然のように思えたりと。
このような経験から私には完璧に整理することが出来ないようだと判断し、なるべく普段から掃除、整理整頓はこまめにして、一つのイベントとして一年に一回くらいは断捨離まがいのことをするといった風になりました。
掃除に関しては汚れが付着してすぐの場合は、サッと撫でるだけで綺麗に出来るのに、放置して蓄積させると、必死で擦っても落ちなかったり、手がガサガサになるような強力な洗剤を使ってみたりと、一年単位で考えてみた場合、マメに掃除をする方が時間と労力が少なくて済み、落とせない汚れになるリスクも軽減できるという判断です。
結局どちらが面倒なのか?が判断基準です。
面倒くさがり屋の判断では、楽に綺麗を維持するのがいいか?まとめて大変な思いをするか?の二択では先の方に軍配が上がりました。
あと業者に任せたり、人任せにできる環境ならば、全面委任するという方法もありかもしれませんが、自分で掃除をする私の場合は、潔癖症気味な性格が影響して掃除をせず放置するという選択肢が選べないのが幸いなのか?残念なのか?
結局は自分に合っているか?が判断基準なのかもしれません。
なので、私は「掃除好きだが、大掃除は嫌い」です。
付け加えると「大掃除は嫌いだけど、断捨離は好き」という変な性分です。
HanaAkari