「もし彼のこの演説が無ければ日本は戦勝国側である米国、英国、中国、ソ連の四大国によって、本州、北海道、九州、四国と四つに分割統治されていたかもしれないというのです」
「サンフランシスコ講和会議でのJ・R・ジャヤワルダナ氏の演説については「YouTube」やネットの記事で簡単に見ることができますので、機会があったら是非一度見て欲しいと思います」
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる】】ブッダの慈愛|言葉の小槌14
【人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる。 Hatred ceases not by hatred but by love】
私がこの言葉について何かを語るなんておこがましく思うのですが、なぜかどうしても書いてみたい気持ちが先行してしまいましたので、思い切って今回の「言葉の小槌」にさせてもらいました。
この言葉を初めて知ったのはスリランカを旅行する際に携帯していた、ガイドブックの「地球の歩き方 スリランカ」からでした。
旅のガイドブックですが、ガイド関係以外にも小話やちょっとしたエピソードが面白いので本を読む感覚で楽しめたのですが、「人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる」その中にこの記事を読んだ時には自然と目に涙が滲んできて、なぜ今まで知らなかったのだろう、スリランカに来てこの事を知ることができたことは本当に幸いだなぁ、そのように感じたことが今でも記憶に残っています。
まさか旅行のガイドブックで泣くとは思いませんでした。

太平洋戦争の敗戦後、日本の今後についてどのようにするのか?が話し合われた「サンフランシスコ講和会議」の席で、セイロン(スリランカ)代表のジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ(後のスリランカ2代目大統領)氏の演説が日本の未来を救ってくれたという歴史を知りました。
もし彼のこの演説が無ければ日本は戦勝国側である米国、英国、中国、ソ連の四大国によって、本州、北海道、九州、四国と四つに分割統治されていたかもしれないというのです。
もしそうだったとしたら私はどうだったのだろう?
演説では戦争でセイロンが受けた損害に対して、セイロンは損害賠償を望まないと発言した後に、仏陀の教えである「人は憎しみによっては憎しみを越えられない。人は愛によってのみ憎しみを越えられる」この言葉へと続きます。
演説の後は万雷の拍手が鳴り止まなかったそうです。
今、自由にこのようなことが表現できることの有難さを噛みしめながら、畏れ多くも私見を述べさせて下さい。
この演説は仏陀の教えからの引用でしたが、大師と呼ばれるような偉大な方々の教えは表現の違いがあっても根底の究極のところは全て同じことを言っているのではないでしょうか?
この宗教が正しい、私の宗派が正解だといったようなことではなく、それぞれの中にある真理に目を向けて、その奥義を「七転び八起き」の精神で体得していく努力を怠らないようにすることが大切なのではないでしょうか?
「サンフランシスコ講和会議」でのJ・R・ジャヤワルダナ氏の演説については「YouTube」やネットの記事で簡単に見ることができますので、機会があったら是非一度見て欲しいと思います。
「そんなのみんな知ってるよ」という時が来ればうれしい限りです。
HanaAkari