「ちちんぷいぷい、いたいの、いたいの、とんでゆけ~」
「見えない力で簡単に体の痛みが取れるなら、見えない心の痛みにも効果がありそうなので、それを期待したいです」
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【痛いの痛いの飛んで行け】ちちんぷいぷいおまじない|言葉の小槌26
【痛いの痛いの飛んで行け】
幼少の頃、机の角に足の指をぶつけたりして痛くて痛くて泣いていると、きまって母親が患部をさすりながら「ちちんぷいぷい、いたいの、いたいの、とんでゆけ~」とおまじないを唱えてくれました。
不思議と痛みが消えたように思います。
物心着く頃になると「そんなので、痛いのが取れるわけがない」と母の愛情を鬱陶しく思うようになりました。
もしかして痛みは取れていても、頭ごなしに認めなかったでしょう。
もっと大きくなるとただの迷信とし、取り付く島もなくなり、サンタクロースと同じようにメルヘンからただの大人の創作したものに成り下がり、知らない間に意識や身の回りから消えていきました。
「目に見えないもの」は信じなくなっていくものなのかもしれませんが、色々なことを経験していくと、価値観も自然と変わっていくもので、私は今では「目に見えないもの」はそれが何かは分かりませんが、「ある」と確信しています。
「言霊」とかそういったことと同じような匂いがします。
いつか科学的にも証明されていくのではないかと思います。
「痛いの痛いの飛んで行け~」くらいでしたら、誰でも「痛い痛いの取れてしまう」んではないでしょうか?
昔は牛乳を飲むと背が伸びる、体にいいと「牛乳神話」が当たり前に信じられていましたが、今ではそのような根拠はないとされていますので、逆に「痛いの痛いの飛んで行け~」は認められていくなんてこともあるかもしれません。
そうなって欲しいんです。
目に見えないものが効果を発揮するのなら、目に見えないものにも効果があるのではないですか?
見えない力で簡単に体の痛みが取れるなら、見えない心の痛みにも効果がありそうなので、それを期待したいです。
心の痛みや傷は簡単には取れなくて、ずっとじくじく苦しくて、悲しくて本当に辛い時がありますので、心の痛みを和らげて欲しいのです。
見えないものなら見えないものに効果があるのではないですか?
ちょっとした体の痛みは簡単に取れるのに、心の痛みは簡単に取れないのは怠慢ではないでしょうか?
何とかしろよ、馬鹿野郎。
迷信なのか?本当なのか?あの世に行くと閻魔様の前に立たされて、天国か地獄行きかを裁かれるそうですが、天国とか地獄とかはどうでもいいので、その時に罰当たりなのは承知で、こちらから問い正したいことがあります。
「どうして、人生において心がズタズタになるような痛みを負わせたのですか?」「その閻魔帳に全部記されているから分かるでしょう?」と。
「それはあなたを成長させるためです」閻魔様
「もし、乗り越えられなくて潰れてしまったら意味ないでしょ」私
「乗り越えられる試練しか与えません」「それにあなたはいつも陰ながら守護されていたでしょう」閻魔様
「そんな当たり前のことを言われても納得できません」「痛み以外の何か別の方法はないのですか?悩んで悩んで眠ることができず、挙句の果てに自分で漕いでいる自転車で居眠り運転して、花壇に突っ込んだことがありますか?それぐらい考えに考えても別の方法は無かったのですか?」私
「まだまだ修行が足りませんね」閻魔様
「それが人ってものじゃないですか?」私
私がどんなに理屈をこねても、最後はぐうの音も出ないことになるのでしょう。
でも少しは言わせて欲しいのです。
「それが人ってものじゃないですか?」
HanaAkari